焼きイモの味

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


この前は、金平糖の話でしたが、今回はひとつ、”焼きイモ”の話でもしましょうか。いえね、私の実家もお寺なんですが、そこの門徒総代さんで、これまで市長さんをやっていた人がいるんです。ぞいぶん長く市長のイスにすわっていられたんだが、とにかくやかましい世の中で、右から左から、ああでもない、こうでもないと突っつきまわされて、とうとう激務に耐えかねて、健康上ということで、仕事をやめられたんです。

さあ、男が仕事をやめるということは、たいへんなことなんです。フーッと空気が抜けちゃうんですな。これまで朝から晩まで電話が鳴りっぱなしだったのが、ピタリと止まる。そして殺人的なスケジュールというのもない。「お迎えにまいりました」という車もない。朝起きて、この元市長さん、することがないんで、困ってしまった。さて、これから一体、どうするか…。

そこでまあ、仕方がないから寺へでも参るか…ということになったんでしょう。ちょくちょく寺へ顔を出されるようになった。しかし、それでもまだまだヒマはある。
(そうだ、これから毎日、孫の顔でも見に行こう)
そう決めた元市長さん、それからは毎日、若夫婦の家へ自転車に乗って遊びにゆくのが日課になった。さあ、およめさんはたいへんだ。おじいちゃんは遊びだが、迎る側はそれなりの心づもりがいるわけです。いままでエライ人だったから、お茶もおいしいのを飲みつけている。お菓子にもチトうるさい。虎屋の羊かん、長崎屋のカステラ、青山の甘なっとう…いろいろと見つくろって、いつも用意していなきゃならない。

チリリン、と自転車の音がする。およめさん、さっとおいしい茶を入れる。お菓子を出す。じいさん、孫とたわむれる…こんな毎日が続いたそうです。ところが、ある日、たまたま、おいしいお茶も、お菓子も切れた。買っておかなきゃと思っていたところへ、チリリンときた。しまった!と思ってももう遅い。
「ごめんなさい、おじいちゃん、今日は何も用意してなくて」
「いや、いいんだよ。孫の顔みたら帰るから」
そんな気まずい会話のあと、しばらくしたら3時になった。こどものおやつの時間です。およめさん、こどもたちのおやつの用意をした。家でとれたサツマイモを焼きイモにして
「さ、こどもたち、おやつですよ」
と、そのとき、フト思った。
「おじいちゃん、こんなものだけど、ひとつ食べてみませんか」
おじいちゃんにとっては久しぶりの焼きイモだ。
「いいだろ」と、番茶で焼きイモほおばった。

この焼きイモが、おじいちゃんの口に合ったかどうかは、明くる朝のおばあちゃんの電話でわかった。
「きのうはおじいちゃんがおいしいものをもらったそうで、ありがとう」
およめさん、ギクリとした。お菓子の用意してなかったので、おばあちゃん皮肉をいってるのかと思った。
「ゴメンナサイ」とあやまった。そしたら「いや、違うのよ、きのう帰ってからおじいちゃん、焼きイモ、うまかった、うまかった。よめが焼きイモ、うまかったって寝るまでいってるの。そんなにおいしかったんなら、わたしもいただこうかと思って…これからいってもいい?」

おばあちゃんもよろこんだ。ホカホカの焼きイモほおばって「まあ、ほんと、おじいちゃんのいう通りだ」。それから毎晩、床についた老夫婦は、「おい、あれ、うまかったのォ」「ホント、あの子らが畠でつくったんですよね。おしかった。」「うまかった。うまかった」とよろこび合ったんですって。そしてそれでもまだ足りず、あんまりうれしくって、その話をまあ聞いて下さいと、寺にまで話しにきてくれた。こういう”味”を、わたしたち忘れてしまっていたのかもしれない。どうです。今日はそれにあやかって、うちでもふかしイモ作ってみたの。おひとついかが?


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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