おかげさま?おカネさま?

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


うちのおばあちゃんが、小さいころの、わたしによくいったものです。
「ごはんは残さず、こぼさず、きれいに食べなさいよ」
そういわれても、こどものわたしは、よくこぼした。ごはんつぶポロリ、おかずもポロリ…。
「コレッ!拾いなさい!」
しぶしぶわたしが拾うと、
「食べなさい!」
じつにこわかった。そして、そのあとのお説教を、わたしはいまでも覚えています。
「お百姓さんはね。あなたにごはんつぶをゴミにしてもらおうと思って、お米をつくっているのとちがうのよ。一つぶのお米でも、あんたのいのちになってくれ、人のいのちになってくれといって、つくって下さっているんです。それを思ったら、あんた、もったいないじゃないか。ちょっとぐらいよごれても、拾ってちゃんと食べなさい」

前回、ご紹介した、食前のあいさつのなかに「つつしんで、食の来由をたづねて…」というのがありました。食の来由―つまり、目の前にあるごちそうが、どのようにして、わたしの所に届いて来たのか、それを少しは考えてごらんなさい、ということでしょう。一つぶのお米は、いったいどのようにしてできるのか―ちょっと考えてみましょうか。

お米は、農家の人たちがつくるもの。これはだれでも知っています。しかし、よく考えてみると、農家の人が一人でつくるものじゃない。一つぶの種モミ、それを育てる土壌と肥料、肥料はどこで、だれがつくるのか。苗になったら、田植えの機械、草とりの機械、何千何万という人が汗水流してつくった農機具や農薬によって、田んぼの米はスクスクと大きくなってゆく。さらに忘れてはならないのは、大地自然の恵みでしょう。そしていま、収穫の秋—またまた機械の世話になり、農協さんの手間を取り、米屋さんもそれに加わり…と考えてゆくと、たった一つぶのお米にも、幾千万の人たちの汗と苦労がこもっている。それがごはんになるには、さらに、水がいる、電気がいる。ガスもいる。茶わんがいる。はしがいる。さあ、そうなると、もう数えきれないほどの人たちのおかげによって、いま、ようやく、わたしたちの前に、一杯のホカホカのごはんが届いたことになる。
「みほとけと、みなさまのおかげにより、このごちそうを恵まれました。深くご恩をよろこび、ありがたくいただきます」
こういって手を合わせるのが、やはり礼儀でありましょう。

ところが、。さいきんの若い人たちの考え方は、この逆なんです、”おかげさま”より”おカネさま”なんだ。すべてがおカネ中心。だから、
「何いってんですか。このごはんは、わたしがかせいだおカネで、わたしが買ってきて、わたしが買った台所用品で料理して、わたしが食べるんです。ちゃんと電気、ガス、水道料金も払ってあるんだから、残そうと、捨てようと、わたしの勝手でしょッ」
とくる。自分一人で米屋から電気、ガス、水道会社を養っているような気でいるんだから、始末におえない。くたばれ!だね、ホントに。

それでいて、値上げとなると、おそろしい顔をして「わたしたちを飢え死にさせる気かッ」とくる。そんなことをいう前に、自分の台所に残り物はないか、くさらして捨ててしまうものはないか、よーく考えてほしい。タバコを吸うものに大気汚染を論ずる資格がないように、ごはんつぶをこぼしたり、余り物を捨てたりするものに値上げを論ずる資格はないと思うね、わたしは…。

オヤオヤ、ずいぶん熱くなってしまった。ハラを立てたらスマートにならない、なんて自分でいっておきながら、これだから…。気分をしずめて、もう一度「おかげで、ごちそうさまでした。」


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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