寺報巻頭」カテゴリーアーカイブ

混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量

いよいよ蓮如上人500回遠忌が来年に迫った。各地でまたマスコミ等で蓮如上人讃仰の気運が高まりつつある。しかしこれを単なる一過性のムードに終わらせてならないのはいうまでもない。

21世紀を目前にした平成の世の我々は、蓮如上人の生きられた中世と共通する混迷の時代を生きているとはよくされる指摘である。政治・経済・教育・医療・地球環境問題などの各分野が抱える諸問題は、戦後50年を経て、時代が大きな転換期にさしかかっていることを物語っている。そしてひとり宗教だけがその埒外に安閑としていられる時代ではない。ただしこのことは真実の宗教の果たす役割の重要性を意味しこそすれ、伝統宗教の存在意義が終わったなどというのは見当違いである。

我々の御門主は、昭和55年、第24代の本願寺門主を継職されるに当たり、広く内外に「教書」を発表、決意のほどを明らかにされた。その「教書」はこう結ばれている。

念仏は、私たちがともに人間の苦悩を担い、困難な時代の諸問題に立ち向かおうとするときいよいよその真実をあらわします。私はここに宗祖親鸞聖人の遺弟としての自覚のもとに、閉ざされた安泰に留まることなく、新しい時代に生きる念仏者として力強く一歩をふみ出そうと決意するものであります。

時代の混迷と苦悩が深ければ深いほど、お念仏のみ教えは私たちに何が真実かを訴えかけてくる。お念仏とはそういうものなのだ。蓮如上人が目指し、私たちに示されたこと、すなわちお念仏を究極のよりどころとしてこの人生を生きるという一点を私達もkっちりと見据えておかなければならない。それが混迷深き時代を生きる我々に対する蓮如上人の生涯をかけられたメッセージである。

(寺報84号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

一人か二人か/梯實圓

「蓮如上人御一期記」に、次のような話が収録されています。それは蓮如上人の晩年、山科本願寺での出来事でした。

あるとき、遠国からたくさんの男女が参詣をしてきました。そのころは応仁の乱はどうにか終結していましたが、全国各地で小競り合いが続いており、大変危険な状況でした。そうした戦乱の渦中を乗り越えて上京してきたのは、我が身の後生の助かるおいわれを聞くためであったに違いないというので、上人は、自らお御堂へお出ましになり、道中の苦労をねぎらって一座のご法話をされました。

お話が終わった後、集まっていた300人あまりの同行を見回しながら上人は、「この中に本当に信心決定して往生を遂げることの出来るものは、一人あるだろうか、二人あるだろうか」とおおせになりました。人々は驚いて、互いに顔を見合わせておりました。そのとき、一人の人が進み出て、自身の領解を申し上げ、

私はこのように決定の信心を頂いております。この中にも五人や十人は決定の信心を得ている人がきっといると思います。それを、一人か、二人かなどと仰せられるのは納得がいきません

と上人に抗議しました。すると上人は、

自余の面々にかかわりごと無用なり。一人か、二人といはば、汝、その一人になりて往生を遂ぐべきなり。

と仰せられたということです。
「わたしが、まことの信心を得て往生できるものは、一人あるだろうか、二人あるだろうかといったとき、あたりをみまわしてどの人と、どの人がそれであろうかなどと、他の人をさがしまわることがそもそも間違いである。私がその一人である、おかげさまでお救いにあずかりましたと領解すればいいとこである」というです。それを聞いて、みな今更のように驚き、有り難く感嘆したということです。まことに如来の大悲は、今ここにいる私一人に凝集しているのでした。

寺報83号(平成9年4月1日)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
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「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
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おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
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一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
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あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
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かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
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生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
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抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

往還回向由他力/那須野浄英

空華の里を訪れることは、行信教校で空華学派に入門を許され、先哲諸先生の御教化を賜った者にとって身の引き締まる思いであります。この度私、善巧寺様の「御正忌」法要にご縁をいただきます。何卒よろしくお願い致します。自己紹介は、法要の際おめにかかりましてと思っております。

さて、ここでは、今回のご法義での概要を述べておきます。まず、「正信偈」の「往還回向由他力」のおこころから味わい、このお言葉が浄土真宗の最も大切な、また特徴を持つ意味深いお言葉でありますことをお取つぎ致したく思います。御法座の始まります前に「聴聞の心得」を参拝のみなさんと唱和されますお寺があります。そうそう、善巧寺・明教院僧鎔和上の「僧侶の心得」がありましたが、おうかがいした際にもう一度聞いて・・・。この「聴聞の心得」は、「歎異抄」後序「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり」のおことばの「一人のため」と言われる言葉のこころを、「今日のこの法縁はわたし一人のためなり」とよくよく味わいたいのです。もともと私は仏様の前に座り、仏様の仰せを聞かせていただく者ではないのです。ここに他力真宗の奥義を味わいたく思います。

次に仏様の言葉について、日頃私たちが用います言葉の中にふくまれていますが、乱雑に用いられますから世俗の言葉になっていますので、注意深く味わいたく思います。殊に蓮如上人は、仏法と世法を明確になされ、私たちが何よりもよりどころにするのは仏法であることを明示されましたことをうかがいます。

当日、如何なりますか。御門徒のみなさまにおめにかかることを、楽しみと緊張とをいただきながら伺います。何卒よろしく御指導くださいませ。

(寺報82号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
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おそだて/高田慈昭(寺報77号)
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拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

俊之さんの思い出/龍嶋祐信

私の父方の従兄弟である俊之さんが、8月11日忽然と還浄されたのでありますが、奥様から凶報のお電話を頂き、前々から体調を崩しておられることは、承知しておりましたが、あまりにも突然のことにて、お電話をお聞きしながらも、自分の耳を疑ったことであります。

私と俊之さんとの従兄弟関係を申し上げますと、俊之さんのご母堂は、私の父の2番目の妹で、お名前は、みつえと言っておられました。このみつえ叔母さんの6人のお子達の長男として、ご尊父の学校関係のため、岡山で出生されたと聞いております。私の子供のころ、岡山の叔母さんと呼んでおったこと記憶しております。

私の祖父は、誠に古風な昔かたぎな人物で、婚家の都合もわきまえずに、時々3人の娘を呼び寄せ、談笑することを、老後の唯一の楽しみにしておりました。今でも楽しい懐かしい思い出の一つとして、脳裏に残っておることですが、昭和初期の頃と記憶しておりますが祖父は、毎年夏休みの頃となりますと、娘3人それに子供達孫達を集め、近くにある三国海岸に三軒程民家を借り、2週間程海兵生活をさせることを、習わしとしておりました。福井に嫁ぎました波子叔母さんの6人の孫、雪山のみつえ叔母さんの6人の子達、大聖寺に嫁ぎました雅子叔母さんの一人の娘、それに私の姉と私、総勢15人が、毎日岩場で、さざえ、かになどをとったり、海水浴を楽しんだ懐かしい、楽しい思い出があります。童児達の最年長者は俊之さんでした。仮我のないよう、たえず注意に目をくばり、リーダー格であったことは勿論のことです。

その後、進学結婚等にて交流はとだえ、11人あった従兄弟も、一人去り、また一人と、今では雪山家の澪子さん、汐子さん、様子さんと私、4人となってしまいました。俊之さんの荘厳なご葬儀に参列いたしまして親鸞聖人の恩師法然上人がお弟子さんに、一別後の再会は難しいが、浄土での再会の喜びがあると言われたと聞いたことがありますが、ふとその様なお言葉を思い出しながら、合掌した事であります。

(寺報81号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
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御文章について/梯實圓(寺報71号)
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「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
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報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
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善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
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夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
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あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人

昭和49年、高槻市東五百住の行信教校で雪山隆弘さんとお会いした頃、膨大なコピーを手にされていたことが、鮮やかな印象として残っています。それは、明教院僧鎔師の書物でした。僧鎔師は19歳で善巧寺に入寺され、浄土真宗のご法義の学問に励まれました。後に空華学派の祖として偉大な足跡を残されたお方です。

コピーが今ほど良くない頃で、値段も高かったのです。図書館を訪ね歩かれては、その著作を善巧寺にそろえようと苦心されていました。僧鎔師の著作の中に、心に残る御法語があります。「一滞録」に「教行信証」信巻別序の講義を終えられて、ふと、御恩と言うことを語られたのです。

「・・・僧侶はご門徒の法事に参って、布施を頂き経を読む。その意は、浄土真宗においては、ご門徒も一銭の布施、一食の供養も阿弥陀如来や親鸞聖人へお供えさせていただくと思うて布施をする。また、それを頂く僧侶の心得も如来聖人のお受けになられた物をこの凡僧に下し給わったと頂くばかり。飢寒をふせぎ、心やすく念仏せんがために給わったと思うて、その御礼報謝のために一巻のお経あるいは「正信偈」を勤めるのも、施主のために功徳をつくるのではない、亡き人の追善とたむけるのでもない。ただこれ如来聖人の御恩を報ずる他はない。
真宗のお寺は、日本諸国にいくらあらおうとも、ご開山はただ一人。ご本山であれ末寺であれ、わが寺というものはない。すべてご開山(親鸞聖人)のお寺を護持し相続して、ご法義をすすめるばかりである。そのご開山の御徳によって、寒からずひもじからぬように仏祖の御養育にあずかる。これによりていよいよ冥加を大切に思うて朝暮の勤行に御礼を申し、ご門徒のお方々にご法義をおすすめするのが良き僧侶である・・・(取意)

隆弘さんは、まさに僧鎔師のご述懐に生きられたのですね。御恩を、冥加を、お茶の間で、巧みな表現と、さわやかな笑顔をもって語りあかされました。私には、ほっかほっかのお念仏を残して下さいました。

(寺報80号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
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永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
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生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
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お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
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夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
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お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

拝啓 寺報善巧様/大江一亨

いつも御紙楽しみに拝読させて頂いております。お寺を囲む皆様が生き生きと輝いて見えます。それぞれの場所で智恵や力を出し合っておられる様子は、さながら「赤色赤光白色白光」で、凄いなあといつも感心しています。

私方は安芸門徒の土地柄ですが、寺の方はまどろみ続けています。越中門徒の皆様に笑われないようしっかりご法義の花を咲かさねばと思うのですが、如何せん住職の無能が災いしてなかなか善巧寺様のようにはいきません。そんな中、やっと定着してきた春の行事に初参式があります。

昔、お寺の若はんがお元気な頃、毎年5月の宗祖降誕会に講演に来て下さいました。「花の初まいり」のことも教えてもらいました。チューリップの花飾り?そんなの及びもつかないなあ、と迷いましたが、数年の後、できることからと思い立って初参式を始めました。昭和60年のことでした。初めてということもあって「昔の赤ちゃん」も混じり、ご祝儀気分もあってから65人の参式で、親御さん達も加わって大変な賑わいとなりました。沢山のお花と、65本の朱蝋の炎でとても華やかでした。終了後、若はん先生が「おい、あの人数はなんだ」と悪戯っぽい眼で言い、続けて「ようこそようこそ」と笑って、親指を突き出しました。褒めて貰った私はちょっと得意でした・・・。

62年を最後に講演して下さる若はん先生の姿はありません。けれども毎春、初参式の準備にかかる頃には、これは若はんの贈り物だったなあと振り返ります。若はんはいつも熱っぽく「寺よ、蘇れ」と語っておられました。「気づかずにいるけれど、沢山の贈り物のなかに私たちはいるんだよ」と教えて下さいました。

「大悲無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが)」
私たちは阿弥陀如来さまからこの上ない願いを受けていることを忘れずに、お念仏申しながら歩んで行きたいものと思います。またいつか。

(寺報79号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
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御文章について/梯實圓(寺報71号)
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報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
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おそだて/高田慈昭(寺報77号)
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拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
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往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

恩に報いる/三嵜霊証

今年もご正忌報恩講がやってまいりました。全国各地にさまざまな宗教のお寺がありますが、毎年報恩講を勤めるのは、浄土真宗だけだと思います。ご開山親鸞聖人のご命日をご縁として、そのお徳を讃え、阿弥陀如来のご恩を知り、共にお念仏の心を聴聞させていただくご法要です。

報恩とは、恩に報いるとか、恩にこたえるということです。恩を知る、恩を忘れないということは、人間として一番大事なことです。犬でもしばらく飼っていたら、飼い主の恩は忘れない、といいます。ましてや私たちは人間です。恩を忘れるようなことがあったら、犬畜生にも劣るといわねばなりません。考えて見ると、私たちは親の恩、先祖の恩、国の恩、自然の恩などさまざまなご恩の中で生かされています。日常「おかげさまで」と自然に口にする言葉が、それを表現します。ところが親鸞聖人は、なんでもご恩とはおっしゃってないのです。ご恩とは、仏さま阿弥陀如来さまの働きを、恩と頂いています。それ以外は言わないのが宗祖であります。

昨年、阪神大震災は大変な被害をもたらしました。私の家内は実家が兵庫県です。被害はありませんでしたが、友人、門徒さんが皆心配してくれました。その時私は「おかげさまで、うちは大丈夫です。」「おかげさんで。」を連発しました。そしたら父親に「なにがおかげさんや、被害に遭った人が聞いたらどう思うか。」と言われ、考えさせられました。私は自分が順境の時だけ恩を言い、逆境の時は、のろいの言葉をはくような生き方ではなかったかと。親鸞聖人はどのような人生であっても、ささえとなり、力となる如来さまのご恩を喜ばれたのです。迷いの人生から悟りの世界に至る道をお念仏となって働く如来のご恩を「身を粉にしても、骨をくだきても」と讃えられました。私が恩に報いることは、唯お念仏を相続させていただき、その心を聴聞させていただくことです。どうぞご正忌参拝されて、ご恩の世界をお聞き下さい。

(寺報78号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

おそだて/高田慈昭

越中といえばなつかしい。私の母も富山県城端町の在家の出身で、幼い日、生母に死別し篤信の祖母にそだてられた。二十才で大阪の寺へ嫁ぎ、きびしい姑から田舎者あつかいをされて大変苦労をかさねた。そのころ、利井興隆先生(隆弘師の祖父)のすぐれた法縁にあい有難い念仏者となった。興隆先生のご化導でいままで仏法といえば死んでからお浄土へ参ることと思いこんでいたが、今日ただ今、阿弥陀如来の大きなお慈悲にすくわれる平生業成の法義であることを知らされた。それ以来、母は如来とともに生きる力強い信心の生活をめぐまれ、幼児を背負いながら日曜学校を開設し、5人の子供をそだてながら夫(住職)をはげまし、学業と教化に熱意をそそぎ、生涯、ご法義中心の日々を送ったのであった。

母のおそだてによって、ともすれば寺から逃げ出そうとした横着な私が、仏法を学び、ご法義をおつたえする身になったことを思うと、今さらながら母の養育の御恩を痛感するのである。その母をそだてたのが城端の祖々母の念仏だった。祖々母は毎朝、善徳寺(別院)の晨朝法座に参詣し、朝ごはんのとき、いつも今朝聴聞したご法義を家族に話しかけていたそうである。そんなご縁で母が大阪の寺へむすばれたのだった。

あるお彼岸のころ、祖々母は80才をすぎて一人で大阪へやってきた。高齢でまわりが心配したが、「何の心配があろうかい。如来さまといっしょじゃ」といって、敦賀のトンネルの数をかぞえてやってきた。お彼岸は大阪人は多く天王寺さん(四天王寺)を参詣してごったがえす。祖々母は天王寺の西門に立って日がくれるまで西の空をおがんでいたという。
「西門で拝んでいるのはオラひとりやった」と。天王寺の西門は西方浄土の東門に向かうというお説教をきいていたのであろう。祖々母のお念仏が母の血にかよい、いま私の血にかよってきたおそだてをしみじみ想う。その力とは阿弥陀さまのおそだてにほかならない。

(寺報77号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

無量光-共にかがやく-/天岸浄圓

「阿弥陀経」に、お釈迦さまは、阿弥陀さまの尊さを讃えんとして、お弟子の舎利弗尊者にこのように問われました。「舎利弗よ、どう思うか。なに故に彼の極楽世界の仏さまが、阿弥陀、と名のられたかを」と。問いつつ、自ら答えられます。

舎利弗よ、彼の仏さまの光明は無量であって、十方の世界を照らしたもうに、いかなるものをも碍りとせず、いきとしいけるすべての人々に光りをとどけてゆかれる仏さまなのだ。故に、阿弥陀(無量光仏)と名のられたのだ

一般に無量光の名は、仏さまご自身の、量り知れないさとりの徳をあらわす名のりでありました。ところが「阿弥陀経」には、仏さまは、自身の光りを十方にあまねかせて、暗闇に生きる人々を碍りなく照らし、光りを共にするといわれたのです。すなわち、「無量光仏」とは、無量の人々と共に輝こうとされる仏さまだったのです。人々が光り輝くことがなければ、自分も輝くことはないといわれたのです。たとえば、親子の間で、親だけがいくら幸せになっても、子どもが不幸な生活を送っているようならば、親は決して自分一人で幸せを感じることができないのと同じです。

そして、この仏さまは、南無阿弥陀仏のお念仏となって無量光を実現されます。お念仏となって人々の人生の一こま一こまにとどき、老いのなかに、病のなかに、そして死までをも「闇」とせず、「苦」とさせないとはたらかれるのでした。だから老いのなかに光りが、病の上にも光りが、そして死までに光りがとどきます。生・老・病・死がむなしく終わらないのです。

生・老・病・死は無くなりませんが、その一々が、仏さまの光りを味わう場となれば、生・死は決して不幸ではなく、まさに輝く仏道と転ぜられます。念仏申すことは、阿弥陀さまがお念仏となられて、私の人生をご自分の生き場とされていることであり、私はお念仏によって、仏さまの光りをうけて輝いてゆきます。お念仏を通して、仏さまと私が共々にとけあった世界が開かれてゆきます。

寺報76号(平成7年7月1日)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

ある救援活動/利井明弘

阪神大震災で、友人知人の寺の多くが被災した。消息を知りたくても、電話が通じない。名簿を見ながら、おちこち連絡してみた。そんな中に住職坊守も行信教校を卒業している兵庫区のお寺があった。毎年の彼岸会にご法話に行く寺で、あの大震災で丸焼けになった長田区の隣の区である。その寺に偶然のように電話が通じた。

「先生ですか、家族も寺も無事でした。わざわざお見舞い電話有難うございました」

住職の元気な声が耳に飛びこんできた。そして、彼の寺のすぐ近所のもう一人の知人の寺が全壊全焼したことを教えられた。彼の寺は無事だったが、檀家の人たちが、30人ほど彼の寺に避難しているということだった。突然電話の声がいつも明るい、坊守さんに代わった。

「先生、お見舞いの言葉だけではないでしょうね」

ギクッとした。ボランティアの活躍が報道されていたが、私は行っても却って邪魔になるだけだと思ってテレビを見ては、ひたすらお見舞い電話をかけていたのである。何か緊急に必要なものがあるのかと聞くと、水・下着・ウエットティッシュ・手袋・靴下・生鮮食料等々が必要だと云う。品物を揃えて、三日後に自動車の前に「救援物資搬送車」と赤字で書いた紙を張り、彼の寺に行くことにした。大阪を過ぎると、テレビで報道されていた被災地が生で目に飛び込んで来た。とてもここでは書けないような惨状であった。車で普通なら3、40分で行ける距離に6時間もかかった。車がギッシリと並んで大渋滞である。しかし、いくら時間がかかっても、SFのゴジラ映画の中に入ってしまったようで、目を見張るばかりだった。その時、私の心に沸いてきた気持ちを正直に言葉にすれば「観光ドライブ」である。6時間たっぷりイライラも退屈もしなかったのである。

目的の寺について、ダンボールの箱やポリバケツを運び下ろしながら、車の前に張っていた「救援物資搬送車」の紙をムシリ取った。私の車が走ったおかげで、避難所への「おにぎり」を運ぶ車はきっと遅れたことだろう。

(寺報75号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)