非常の言/高田慈昭

ロケットにのって地球をながめた宇宙飛行士が、ニューヨークとオーストラリアが同時にみえたといっています。それは地球上に住む私たちには到底みられる光景ではありません。常識をこえた次元というべきでありましょう。

私たちは丸い地球に住みながら、丸い地球を絶対みることができません。しかし、ロケットにのって地球の外へでて、無限の宇宙の世界からみると丸い地球をみることができ、地球の裏表がみられるのです。それは地球上の視点による次元とは異なる宇宙からの視点による常識をこえた次元であるといわねばなりません。

仏陀のみ教えは、このような宇宙的な次元から人生をとらえ、私たちのいのちをみつめているというべきでしょう。

非常の言は、常人の耳に入らず(論註)

ということばがありますが、仏法は常識の次元、すなわち政治、経済、科学技術等の文明をこえた出世間の世界をみているのです。したがって、常識の世界だけに浸っている者には、非常のことば(仏陀の教言)は耳に入りにくいのです。

私たちは、生死といえば此の世に生まれて五十年、百年の生涯をおくって死んでいく存在だけをみていますが、それは地球上だけの視点と同じようです。しかし、もっと広い視野、宇宙的視点からみれば、生まれるまでに無限の過去からの生と死をくりかえしてきたのです。そして人間の生涯を終えてもまた無限の未来に生死をくりかえていくいのちなのです。つまり、過去、現在、未来の三世の生死の流転のなかに存在する今のいのちなのです。救いとはこの生死流転が破られ、浄土への道を今あたえられる身になったことです。

(寺報98号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

報恩講/若林眞人

何年前のことだったでしょうか。新聞の投書欄に目をやると「おとりこし」というテーマが目に入りました。三十代の女性の投書だったと思います。記憶を頼りに要約すると、次のような内容でした。

私の故郷の北陸では毎年「おとりこし」という仏事が行われます。近隣の方々や親戚など、それに嫁いだ娘たちも里帰りをしてお仏間に集うのです。皆がいっしょになって「しょうしんげ」というお勤めをします。

私は記事を読みながら思わず「うんうん」と頷きました。投書は続きます。

「おとりこし」は「ほんこさん」とも言います。

私はまた「そうそう」と頷きました。ところが投書の最後には、

おとりこしとは、ご先祖のお祭りなのです。

私の頭はガーンと鳴りました。親鸞聖人のことが忘れられてしまったのです。
永仁二年(一二九四)親鸞聖人三十三回忌の折、二十五歳の覚如上人は親鸞聖人の遺徳を讃えられて『報恩講私記』という書物を書かれました。この時から親鸞聖人のお仏事を「報恩講」と言うようになったのです。また、一般の寺院やご門徒のご家庭ではご正忌に先立ってお勤めをするから「お取り越し」とも申すのです。

親鸞聖人を浄土真宗の開祖と仰ぐ歴史は覚如上人によって始まったと言っても過言ではありません。覚如上人のご一生は親鸞聖人のご一流を護り抜くことに貫かれたものでした。

今年は第三代覚如上人の六百五十回忌に当たります。何とぞ報恩講をお勤めなさる折には、覚如上人のご苦労も心に留めて頂きたいのです。報恩講は覚如上人によって始まったのですから。

(寺報97号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

必ず煩悩の氷とけ/藤澤信照

最近、大平光代さんの「だからあなたも生き抜いて」という本を読みました。
著者は中学二年の時に、いじめを苦にして自殺を図り、その後、非行に走って、十六歳の時には極道の妻となり、背中に刺青を入れてまで、その世界で生きていこうとします。しかし、結局そこでも自分の生きる場所が見つからず、離婚してスナックで勤めることになります。

どん底まで落ちた彼女の人生に光が差すときがやって来ました。それは後に養父となる大平浩三郎さんとの出会いでした。それからの彼女の努力は並大抵のものではありません。なにしろ、中卒の身ながら司法試験に一発合格という快挙をやってのけるのですから。しかし、その努力は、どんな時でも優しく包んでくれたお祖母ちゃん、それから大平さんはじめ、たくさんの人たちの温かい心に支えられてのものだったのです。

無碍光の利益より
威徳広大の信をえて
かならず煩悩のこほりとけ
すなはち菩提のみづとなる

と親鸞聖人は『高僧和讃』に示されています。温かい心が通わなければ、人の心は凍ってしまいます。しかし、凍った心が溶けさえすれば、素晴らしい悟りの水となることを見抜かれた阿弥陀さまは、私たちをお慈悲の心で温かく包んでくださるのです。

人は皆、お慈悲の温もりに触れたとき、どんな状況の中でも、喜びと感謝の心を持ちながら、力強く生き抜いていくことができるということを、大平さんの本を読みながら、深く心にかみしめさせてもらいました。

(寺報96号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

永遠のとき/高務哲量

昨年十二月、十九年ぶりにインド仏跡参拝の旅に出させていただいた。今度の旅の目玉のひとつが、アジャンタ・エローラの石窟寺院群の訪問である。ボンベイから内陸部に入った都市オウランガバード郊外にそれはある。岩山をくりぬいて作られた石窟寺院の数々。ことに圧巻はエローラのカイラーサナータ寺院である。岩山をノミと金槌だけで削りだして作られたまったく継ぎ目のない一つの彫刻ともいうべき建築物である。その大きさたるや、奥行き八十一㍍、幅四十七㍍、高さ三十三㍍、というとてつもないもの。屋上・内外壁などに精緻な装飾をほどこしてある。これが岩山を削りだして作られているのである。八世紀半ばに着手し百年以上の歳月を経て完成したもの。七世代にわたる職人の手になるという。こうした建造物を目の当たりにしたとき、この世がすべて、人間は死んだら終いという考え方がいかにちっぽけなものであるかと感じずにはいられない。少なくとも、永遠の時というものを事実として受け入られる人のみが携わられる事業であろう。

法蔵菩薩の五劫の思惟の説。四十里四方の大岩を、三年に一遍天女が羽衣でひと撫でし、その繰り返しのはてに、大岩が磨り減って無くなってしまうに要する時間を一劫とし、その五倍の時間をかけて私を救い遂げる方策を思惟されたと無量寿経は説く。そんな大岩があるはずがないとインドでは通用しない。デカン高原自体が大きな溶岩台地の岩山なのだから。

釈尊が歩きになった同じ台地に立たせていただき、無量寿という桁外れにスケールの大きい「時空」というものをインドは感じさせてくれた。

(寺報95号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
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生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
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不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
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抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
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いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

ささえ

アミダさま
僕が僕であることを
認めてくれて ありがとう

「そのままでいい」と言われ
「このままではいけない」と思うようになった

(寺報善巧100号より)

横超のおしえ/高田慈昭

親鸞聖人は他力真宗の教えを横超のおしえとしめされました。横超とは、阿弥陀如来の本願力によって横ざまに生死の大海を超え、すみやかに浄土のさとりへいたるというみ教えです。

城端町出身の横道善蔵さんは、ながく大阪や西宮で浴場を営む有難い念仏者でした。ある時、「あんたの名前は横道という変な名前ですな。でも仏法に遇えて人生の横道にはいらずよかったですね」というと、

わたしの横道はそんなつまらぬ名前ではない。横超の直道をあらわす尊い名前じゃ。ついでにいうが善蔵の名も善をつめば金の蔵がたったという俗っぽい意味ではないぞ。私のいのちは、如来さまからいただいた南無阿弥陀仏の善根功徳がおさまって(蔵)いるという意味じゃ。


教行信証をくりかえし読まれた人だけって味わいがふるっています。
スイスのブゾンサンさんは仏蔵を彫刻する真宗僧侶です。彼はいう。

フランス革命以後、ヨーロッパではだんだん宗教が弱まっていって、現在の若い人は、どこに自分の思想、自分の精神の依りどころを探してよいか模索している状態なんです。

私もそんな状態の中でいろんな宗教を見て今のヨーロッパに一番適した宗教として見出したのが浄土真宗です。今のヨーロッパ全体がその状態に適した教義を「横超」の中に見出すことができます。

二十一世紀は親鸞聖人のみ教えがヨーロッパにひろまる気配がたしかに感じられます。本家の日本人私どもこそ一層誇りを持って聞法につとめ味わいをふかめたく思います。

(寺報94号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
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「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
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生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
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永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
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あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

香積寺のことなど/山本攝

この八月、十二日間かけてシルクロード各地を回ってきた最後に、西安に二泊した。その折、善導大師ゆかりの香積寺(こうしゃくじ)を訪ねることができた。これは大師没後の神龍二年(七〇六年)、その遺徳を偲んで建てられたもので、三十三メートル十二層の塔だけは、創建当時のものであるという。さまざまな事情で訪れたのは五時を回っていたが、日はまだ高い。

ナーモアミダブ
ナーモアミダブ…。

奥の部屋から念仏の声が聞こえてきたのは思いがけない出来事であった。単調な旋律に乗って、素朴な、懐かしいような律動にそれはくり返している。そっと部屋をのぞくと、十数人の男女が、壁に向かって座ったまま唱和している。それは始めて聞く者でも唱和できるような、いやむしろそれを誘うかのようななつかしい旋律である。実際、同行の何人かが、小さな声でそれに合わせて念仏しているのは、不思議な光景であった。

今現在、彼の地で行われている念仏がどのような内容のものであるのか、おそらく私たちの教えとは大きな隔たりがあるにちがいない。それにしても、生きた念仏の声を聞くとは、予想もしない出来事であった。

念仏の 涼風吹くや 香積寺

帰り際、軒先で年老いた猫が昼寝しているのを、そっと近づいて私は写真に収めておいた。

(寺報93号)

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「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
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生死出づべき道/高田慈昭

人間の欲や願いはかぎりありません。けれども、いのちにはかぎりがあり、知識がゆたかであっても、財力や権力がどんなにあっても、老病死や愛憎の苦悩を解決することはできません。欲望がみたされて一時的な快楽がえられたとしても長つづきするものではなく、むしろ欲望があるために苦悩をうみ争いを生じるものなのです。このような現実の人生を、すなおな眼ざしでみつめることが大切であって、それには、現実の人生を高くこえはなれた立場から、人生を見直してみるということが要求されます。

たとえば、宇宙飛行士がロケットで地球の外へでて、宇宙から地球をながめると、円い地球の表裏がみえ、ニューヨークとオーストラリアが同時にみることができると語っています。つまり、この地上では決して経験することができない次元がひろがってくるわけです。私どもは、円い地球に住みながら円い地球をみることができません。まして地球のうらおもてがみえるはずもありません。つまり、地球上の視点と宇宙からみる視点とは次元がちがうのです。私どもの常識をこえた次元が存在することをあらわしています。

仏陀の教えは、そのように人生をこえた立場から人生を見直していくところにあるというべきでしょう。後生の一大事、生死出づべき道とは、常識的な50年100年の生命だけでなく、過去現在未来の三世の生死の迷いから解きはなたれた永遠の浄土のさとりへいたる道を阿弥陀如来の本願力によって救われていくことなのであります。

(寺報91号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

仏法を主(あるじ)とする/梯實圓

蓮如上人に、「仏法をあるじとし、世間を客人(まろうど)とせよ」という法語があります。上人の生き方の基本を述べられたものです。

仏法とは、釈尊のみ教えにしたがって、阿弥陀仏の本願を信じ、念仏もうしつつ、愛欲も怨憎も超えた安らかな涅槃の浄土をめざす生き方のことです。それに引きかえ世間とは、名誉欲と財産欲に振り回されながら生きる世俗の生き方のことです。つまり煩悩が支配する私どもの日常を世間というのです。

蓮如上人は、このような仏法と世間とに主客を立てられたわけです。仏法を主人とし、世間を客人とするということは、仏法、すなわち如来のみ教えを基準として世間を生きようとすることです。それは世俗の日常生活を、念仏の縁として生きることであるともいえましょうし、この世を仏法の真実を確かめる道場とみなして生きることであるともいえましょう。それは念仏のなかで営まれる生活を意味していました。

反対に世間を主人とし、仏法を客人とみなすような生き方とは、この世をうまく生きるための手段として仏法を利用しようとするものです。仏法を主とし、世間を客とみなす生き方は、世間を仏法化していきますが、世間を主とし、仏法を客とするような生き方は仏法を世俗化してしまいます。世俗化した仏法には、もはや人を救う力はありません。

浄土真宗は在家仏教であるといわれます。たしかに親鸞聖人も蓮如上人も家族をもった在家的な生活をされていました。その意味で在家仏教といえましょう。しかしそれは、決して仏教を世俗化するものではありませんでした。むしろ世俗の生活に仏道としての意味をもたせていく仏教であったというべきでしょう。それが親鸞聖人の「非僧非俗(ひそうひぞく)」という言葉のもつ意味でもありました。

寺報90号(平成11年1月1日)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

無量寿のいのち/藤沢信照

いじめによる少年少女の自殺や殺人事件など、悲しい出来事が起きるたびに、「命の重さ」を真剣に考えようと盛んに叫ばれます。そんな時、「たった一つの命だから」とか「一度きりの人生だから」とよく言われるのですが、私はそれだけでは、計り知れない「命の重さ」を知ることはできないのではないかと思うのです。というのも、私の命は、私を取り巻く過去・現在・未来の無数の命に支えられてこそ存在し得る、ということを仏教では教えているからです。

親鸞聖人は、その過去・現在・未来の無量の命に満ち満ちて、今ここに生きる私を支えてくださるもの、それが阿弥陀さまの「無量寿(むりょうじゅ)のいのち」なのだとお示しです。「正像末和讃」に、

超世無上に摂取し
選択五劫思惟して
光明・寿命の誓願を
大悲の本としたまへり

とあるように、阿弥陀さまの大悲の根本は、「光明無量、寿命無量の仏になろう」との願いにありました。その願いのとおり、過去・現在・未来を貫いて、数限りない命に宿り、迷いの根本である我執の殻を破ろうと、「南無阿弥陀仏」の声となってはたらき続けてくださる仏さま。その仏さまの声が、ようやく今、私の心の耳に届いて、私の我執の殻が破られるのです。東井義雄先生は、そのことを

死にながら、死なないで生き続けるいのち
自らも生き、他を生かし続けるいのち

すなわち「無量寿のいのち」をもらうということだとおっしゃいます。こうして「無量寿のいのち」をたまわり、おかげさまで、今ここに、かけがえのない、ただ一度きりの命を生きることができますという感謝の心にこそ、計り知れない「命の重さ」を実感できるのだと思います。

(寺報89号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)