法話」カテゴリーアーカイブ

お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海

4月はお釈迦さまのご誕生をお祝いする花まつりの月です。親鸞聖人のご誕生も4月1日と伝えられてきたのでしたが、太陽暦に変えるとき換算して5月21日に定められています。どちらも春の花の季節で、お祝にふさわしい彩りです。

浄土真宗では、お仏壇やお寺の内陣にお釈迦さまを安置しませんが、浄土真宗ほどお釈迦さまの精神を重視する宗旨はないのではないでしょうか。親鸞聖人はお正信偈に「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」と述べられています。意味は、お釈迦さまの一生を総括して

釈迦如来がこの世にお出ましになったのは、ただ弥陀の本願の教えを説く一事でありました

とたたえておいでなのであります。阿弥陀如来に帰依し念仏申すことがお釈迦さまの精神に沿うことになる意です。

和讃には「釈迦弥陀は慈悲の父母 種々に善巧方便し われらが無上の信心を発起せしめたまひけり」とたたえて、浄土の弥陀とこの世に出現されたお釈迦さまが、協力してあらゆる手段を尽くして私どもをお育てくださったおかげで、いま仏法に遇うことができたと感嘆されています。よく知られています二河白道の譬では、釈迦如来はこちらから「行け、行け」とお勧めになり、向こう側からは弥陀如来が「安心してそのまま来い」とよんでいてくださると示されて、お釈迦さまの指示が、ただ弥陀仏への帰依であることを語られています。

お釈迦さまのご誕生をお祝いして甘茶をかけたり、お花をお供えしますが、誕生仏への最高のプレゼントは「弥陀の本願を聞いて」往生するにまちがいない身となることでありましょう。

寺報111号(平成16年4月1日)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

報恩講について/梯實圓

弘長2年(1262)11月28日、親鸞聖人が、90歳を一期としてご往生あそばされてから、741年の歳月が流れていきました。時は移り、人は替わり、社会の状況も、生活環境もはげしく変化していますが、聖人のみ跡を慕う念仏者たちは、毎年の報恩講を大切にお勤めしてまいりました。

報恩講とは、親鸞聖人の祥月命日に当たる11月28日を中心に、遺弟たちが聖人のご恩徳を偲んで報恩のまことを捧げるご法座のことです。しかし旧暦の弘長2年11月28日は、新暦になおすと、翌年の1月16日になりますので、本願寺派(西本願寺)では、1月16日をご命日と定め、その日まで七日七夜にわたって報恩講を勤めるようにしています。

この法要を正式に「報恩講」と呼ぶようになったのは、おそらく親鸞聖人の曾孫で、本願寺の第三代の宗主である、覚如上人のころからでしょう。親鸞聖人の御廟所(ごびょうしょ)を「本願寺」という寺院にし、親鸞聖人のみ教えを顕彰された方でした。親鸞聖人の33回忌にあたる永仁2年(1294)に、聖人のご高徳を讃える「報恩講私記(ほうおんこうしき)」(お式文)という「讃文」を著されましたが、これが報恩講という名称が用いられた最初です。覚如上人25歳の時でした。上人はその翌年、「本願寺聖人親鸞伝絵」という2巻15段の絵巻物を著されています。

報恩講のご法座では、「お式文」や「御伝鈔(ごでんしょう)」を心静かに拝聴し、「御絵伝(ごえでん)」を拝見して、聖人のご恩徳を偲ばせていただきましょう。

寺報109号(平成15年10月1日)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

こわいはなし/宗崎秀一

ある日の朝、電話があった。声の主の女性は、一枚の写真のことが不安でしょうがないという。二十歳の娘さんが旅先で撮った写真に、写るはずのない子供の足が写っているという。早速お寺に持ってきてもらった。確かに女性二人が微笑んでいる写真の隅に、子供の足が写っている。不思議なものではある。しかしミスプリントなのは明らかだった。何か悪いことが起こらないかと不安になるのは、やはりテレビ番組の影響だろう。ゴールデンタイムに心霊・オカルト番組が洪水の如く垂れ流されている。日本民間放送連盟の放送基準には迷信を肯定的に扱ったり、心霊術等を扱う場合は徒に不安を煽ることのないように謳っているのだが…

浄土真宗の教章の中には、

深く因果の道理をわきまえて、現世祈祷や、まじないを行わず、占いなどの迷信にたよらない

とある。いわゆる心霊写真というものが怖がられるのは、それによって我が身に危害が及ぶと煽られるからであろう。その極まりが「死」である。根底には「死」は忌み嫌うべきもの、不幸の象徴とする価値判断がある。釈尊が説かれた根本苦の四苦とは生老病死。「死」が苦であるというのは、死を目前に控えての肉体的苦痛、精神的苦悩というだけではなく、死という問題に対して、意味を見出せない苦という意味も含まれているそうだ。お念仏を頂くということは「死」は虚しい滅びでも敗北でも不幸になることでもなく、お浄土に往きて生まれることと知らされる。大いなる精神の領域を頂くのである。スタート地点が違うのである。

(寺報108号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
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非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

育ちざかり/那須野浄英

いろもなし かたちもましまさず
しかれなこころもおよばず ことばもたえたり

唯信鈔文意を講義された山本仏骨和上が次のようにおっしゃいました。

「いろもなし、かたちもましまさず」とは、どのようないろにも、どのようなかたちにでもなって、私の思議をこえて働いてくださるというお言葉です。

ありがたいお言葉であると味わうことです。仏法を聴聞することが、改まってすることでなく、私の上にはたらいてくださっている如来様に遇うことだと味わうからです。如来様のはたらきに遇うことはお育てにあずかっている私に気付かせていただくということです。今、如来様のお育ての中で正しく生かされている、如来様に育てられている“育ち盛り”の私なのです。

如来様と私の関係を、機法一体と言われます。機は法によって育てられるチャンス(絶好の機会)で、法によって育てられるしくみであるといわれました。如来様に育ててくださいと願うのではなく、すでに如来様のお育てにあずかっているのです。私のほうから知ることもなく、いつのまにか(十劫の昔から)不可思議のうちにお育ていただいています。あり難いことに私達は、春夏秋冬、味の濃淡、風呂の湯加減など身の全体が、“聞く”機能を持っています。この機能が、如来様のお育てを深く味わわせていただくのです。

私は、年をとること、病気になること、いのち終わることをつまらなく思いますが、念仏の衆生とお育ていただいている中に仕組まれて、生かされていること、聞いて味わうことのできる今チャンスであると思うのです。

(寺報107号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

何処へいくのか?/利井明弘

 

このテキストは、平成15年、空華忌の法話を寺報(107~109号)に掲載した文章です。

いのちおわって滅びるときは何処へいきますか?

行信教校校長 利井明弘師

智慧の光明はかりなし
有量の諸相ことごとく
光暁かぶらぬものはなし
真実明に帰命せよ

聞きましたら本年は僧鎔師の二百二十回忌にあたるそうですね。その空華の僧鎔和上の書かれたものに和讃方軌という本があるんですが、そこに五双十義というものが出てきます。十二光讃ですね。正信偈で言うと、

普放無量辺光
無礙無対炎王
清浄歓喜智慧光
不断難思無称光
超日月光照塵刹

その十二光を五双十義で解釈されておるのが僧鎔和上です。僧鎔和上というのは頭がいいお方やったんやね。僕らは五つある中の一つか二つ味わう程度ですけれども、二十の光を縦・横・斜めで、まだ三義でしょ。ところが五つ見ておられるんです。ちょっとここへ書いてみます。

体・用
横・堅
自・他
悲・智
当相・寄対

この五つ、これ全部相対してあるんです。体というのはそのもの自体のお徳ですね。用というのははたらきです。これが一つですね。それから横・堅というのは、横はよこ、空間的なひろがり。堅はたて。二百年続いたとか、二百年いたとか、時間的なもの。空間と時間ですね。三つ目は自徳か化他か。自分で学んで自分の徳として積むということと、相手にそれを与えるということ。それで自・他ですね。それから四つ目がお慈悲と智慧。五つ目は当相と寄対。当相はそのままということ。寄対というのは、これは一つしかないから言いますと、「超日月光」と日月に喩えてありますね。私たちが知っておる、お日さまやお月様の光よりも阿弥陀さまの十二の光の働きが超えておるということを、お日さまや、お月さまに寄せて解釈してある。それが超日月光です。日月に超えた光。 

そこで体・用から全部話しできないと思うけど、少しずつ話します。十二光についてはいろいろな和上が、いろいろな分け方をしておられるんです。鮮妙も僧鎔和上がこうおっしゃってると、まず書いて、それから私はこう味わうといって科段を造っておられるんです。 しかし僕はね、僧鎔和上の体転用というのが非常に有り難く思えるんです。それはどういうことかといいますとね、十二光の中心はやっぱり六光なんです。「無量・無辺・清浄・歓喜・智慧・無碍」です。

無量、無辺というのが阿弥陀様自体のお徳。それが今一番最初に読みました、「智慧の光明はかりまし」とあるでしょ。あの「はかりなし」というところで無量光なんです。わかりますね。「智慧の光明」というから智慧光やと思うでしょ。だけど「智慧の光明はかりなし」というところで「無量光」をまず和讃されておるんです。これがいま言いました、仏さま自体のお徳なんですよ。

それはどこででも何べんもしゃべってる話ですけど、一つしますとな、僕、学生の頃九十キロありましてん。そのころ京都駅は階段ばっかりだったんですわ。ご本山にお手伝いに行ってね、仕事終わってから聚で一杯飲みに行きましてなあ。酒に酔っ払うて、九十キロで、京都駅へ帰ろう思うたらね、階段だけでうんざりするんです。だからどうしても電車は座って帰りたかった。でも快速電車は人が多くて座れないんです。だからいつも各駅停車に乗って帰るんです。ところがね、それでも座れないことがあるんです。各駅停車は京都駅でずーっと待っとるんですわ。その間にみんな乗るから、立ってる時があるんです。この時はどうするかというとね、次降りる人探すんや。これすぐわかるのよ。荷物まとめたり、切符探したりしてる人は次で降りるんよ。そうするとその人の前に立つんやね。そうしたら僕の思うてる通りその人が次の駅で降りる、僕がそこへ座ると。これが僕奥の手やった。(笑)

ところがある時こんなことがあったんですよ。京都駅で乗った時に何人か立っとったんです。それでいつものように、次で降りる人探さんなんと思ってた。ところが次に降りる人探さなくても、うまいこと言ったら座れる席が一つあったんです。一番端っこで子供を膝の上に乗せた若い奥さんが小さくなって座っておるんですわ。その横にその子供と僕とやったら座れるぐらいの荷物が置いてある。それに手にかけて若い男が二人座っておるんです。あの荷物おろしてくれたら座れるのになあ、と思ってジーッと見とったんです。あれ人の視線て感じるでしょ。向こうもこっち向いたんや。僕は「おろしてくれへんか?」っていう顔したんですよ。そしたらちゃんと通じたんよ。そしたら「あかん」って向こうはいったんよ。(笑)もうしょうがないからね、次降りる人また探しておった。西大路駅で降りる人がいたから私は座れた。ところが後ろから乗ってきた人は何人か立たないかんかった。そしたら乗ってきた人の中のお爺さんが一人ね、私の前に立ってね。「あの隅っこの女の人見てみ、小さく小さくなって座ってんのに、あの荷物おろしたらええのに、あの若い奴は」って若い二人のことを言ってるんです。ぼくのことじゃなくてよかったんですけど。ところがですよ。乗ってくる人みんな若い男を睨むんや。そうしたらもう気付いているはずなのに、全然みんなのところ見ずに熱心に話し合ってるような顔をしとった。そうしたらじいさん次の駅で降りたんですが、その時わざわざ若い男の前に近いドアから降りて、降りた際何か「わっ」と怒鳴って降りてった。ところが若い男はしらんふりですわ。あいつら高槻まで行くんかな、と思って見てたんです。そしたらね、高槻の一つ手前の山崎という駅で電車が止まりかけた。そうするともぞもぞと、その席が動き出した。「山崎で降りるんやな」と思っておったんです。そしたらおかしな事が起きたんですわ。若い男が荷物を持たないで、電車の扉に背中をついて、さっきにらんだ奴をずーっと睨み返すんです。何やろなと思って見てた。そしたら電車がガッタンと止まったら、一番隅っこの女の人が膝から子供おろして、それでその荷物を持ったんです。若い男の荷物じゃなかったんです。それやったら肘つくなって思う。そう思うでしょ。それでドアが開いたら、若い男が「どや分かったか」って顔して降りていった。その後ろから女の人が恥ずかしそうな顔して降りてった。「完全に逆さまやったな。」と思ったときにえらいことに気が付いたんです。途中で怒っておりていった爺さん、きっと家で言うてると思うんです。「近頃の若いやつはしゃあない。」って。「お爺さんあれ違ったんです。あれ女の人の荷物でした」ってもう言えないね。

みなさんね、人生全部、途中下車なんです。自分の見てるとこだけ正しいと思ってるんです。だけど時間が経ったらころっと変わってしまう。それがね、「有量の諸相ことごとく」と。我々は有量なんです。限りがあるんです。途中下車して次どこに乗るんですか?また乗ったって環伏線ですよ。また迷い六度羽行くんです。その因縁を断ち切らないといけない。阿弥陀さまはね、「智慧の光明はカリナ死」永遠に変わることのない真実、おじいちゃん、おばあちゃん、曾じいさん、曾ばあさん、ずーっと聞いてきた、いや、二千数百年前から聞いてきた一字も変わってないお経を読んでいるんですよ。分かりますな。娑婆で間違いのないものはころころと変わっていくし、私は全部途中下車です。いのちおわって滅びるときは何処へ行きますか?それを味わわせてもらわなければいけませんな。

覚えるのではない。解釈するものでもない。味わうんです。

解脱の光輪きはもなし
光触かぶるものはみな
有無をはなるとのべたまふ
平等覚に帰命せよ

光雲無碍如虚空
一切の有碍にさわりなし
光沢かぶらぬものぞなき
難思議を帰命せよ

おはようございます。今日は僧鎔和上の二百二十回のご法事でございます。僧鎔和上が三百四十首の三帖和讃を十数冊で解釈してくださっている本があるんです。「和算法喜」といいます。詳しく解説して下さってあるんです。十二光のところですけども、一番最初が体と用。仏さま自身のお徳は無量光と無辺光。この二つがいつでもどこでも変わることのない真実。この変わることない真実がわたしたちにはたらいて下さる。それはさわりなくはたらいて下さる。さわりというのはわたしたちの煩悩。煩悩によって燃えていく悪業です。その煩悩をもっておるものを救うということは諸仏もできないんですね。諸仏でもすべて十方の浄土を建立しておられるわけですけども、その浄土へ汚れたまま来たら、綺麗なお茶碗に泥水入れて清浄とは言わんでしょ。綺麗なお茶碗になって来いとおっしゃるのが緒仏の教えです。それが四諦八正道。もしくは六波羅蜜・定散二善というような修行を積んで煩悩を除いて清らかになって浄土へ参れとおっしゃるのが十方諸仏なんです。ところが阿弥陀仏はその煩悩を私がのぞいて救うとおっしゃる。それで無碍光というんです。さわりなく救う。煩悩にさわりなく救うとおっしゃるのが阿弥陀仏の阿弥陀仏たるゆえんです。そしてその無碍というのは貧欲・瞋恚・愚痴でつくる罪。それを全部きれいにしてくれるはたらきが清浄光・歓喜光。智慧光。こういうふうになっていくわけです。ちょっと和讃の方を読んでいきます。

清浄光明ならびなし
遇斯光のゆゑなれば
一切の業繋ものぞこりぬ
畢竟依を帰命せよ

清浄光明ならびなしという。これがくらべものがないという無対光なんです。無対に二つあります。一つは今言いましたように諸仏とくらべてくらべものにならん。どこがくらべもんにならんかというと、自分で清らかになることがどうしてもできない煩悩具足のわたしたち。だいたい浄土・妻子といいますけど、汚いというのは煩悩が汚い。だから煩悩がない世界が清浄な世界なんです。

その清浄な世界に煩悩を持ってるものを、その煩悩から起こした罪、それを全部除いて救うというところで阿弥陀さまと諸仏の違いがでてきてくらべものにならん。もう一つあるんです。それは今度はたらきとして。煩悩を敵として滅ぼしつくす。これも若い頃好きでなかったんですよ。私の爺さんに当たる興隆が、ちょっとこれ間違ってるかもわからんけども意味はこういうことなんです。「久遠劫来の敵を討って弥陀の浄土に凱旋をする」というようにうたっとるんです。久遠劫来の敵を討つって、えらい自力やなと思ってたんです。ところがよう考えたらこれなんですよ。「清浄光明ならびなし」私が滅ぼしつくすんじゃなくて、久遠劫来の敵を討つんじゃなくて久遠劫来の敵を阿弥陀さまが討ってくださる。そして弥陀の浄土に凱旋をするということになるんです。そこでこの阿弥陀生の光明は諸仏とくらべものにならんし、私たちの煩悩に敵対して私たちの煩悩から作る罪を全部討ち滅ぼして下さるというのが無対光。

清浄光明ならびなし
遇斯光のゆゑなれば

遇斯光というのは光に遇ったら念仏が出てくるわけですわな。光明は音になる。阿弥陀さまの光明は音になる。それが南無阿弥陀仏です。称名ですね。「一切の業繋ものぞこりぬ」業繋というのは業によって繋がれるということですから罪ですね。その罪を除く。だから畢竟依、究極的な拠り処によりなさい。それが阿弥陀さまですよとこういうふうに無対光はうたってあるわけです。ここでは清浄光を挙げて阿弥陀さまのはたらきを代表させてあるんですね。それから、

仏光照曜最第一
光炎王仏となづけたり
三塗の黒闇ひらくなり
大応供を帰命せよ

これが光炎王です。仏光というのが光。照曜というのがチラチラ炎のように揺れているような光明です。だから光炎という字が書いてあるね。

皆さん闇夜でどっか迷ったことある?僕山で迷ったことあるんですよ。弟とやったと思う。立山に上った。そしたらね霧が出てきて動けんようになってもうた。ああいう時に光というのはサーチライトみたいに見えないね。チラチラ、チラチラって見える。あそこに火ともってある。そっち側向いてあるいて行ったら山小屋にいきあったんですけどね。そういうことがあるんですけども。やっぱり炎というのは揺れるんやね。光炎王。三塗(地獄・飢餓・畜生)の黒闇、闇を開いて下さる。まだ僕らは闇なわけですわ。その闇による、六度輪廻しておるものがチラチラ光るのはたらきによって救われて行くんです。

呉の専精会で念仏がザーッと流れるの聞いて有難かった。口で言えないものが、肩叩き合うとかで通じることがある。言葉ではいえないのに有難いって、これがすごいなっていうたときにパーッと相手に通じることがあるでしょ。お経の言葉を読んでて、聴聞しておる人の中で一人が南無阿弥陀仏って、サーッと流れていくときに口で言えないものが確認できるすごいものがあるんですよ。味わわなあかんわ。おいしいというのはね、最高においしいというのは口で説明してくれと言っても説明できんやろ。ところが一緒に食べてて「これがおいしいな」って手叩き合ったらわかるもんね。解釈せんでもええよ。

味わうというのは頭に残しとかでもええ。十日前に食べたもん全部覚えてる?みんな覚えてない。ところが忘れてても血となり肉となって元気にこうして生きているのはあのおかげやねん。そやけど忘れてしまってるやろ。だから食べるということは覚えてないんよ。ためんでもええねん。十日トイレに行ってないっておかしいやろ。こら病気やで。ところが智慧をためて知識ためてやろうと思う人多いよ。分かって何ぼじゃっていうんよ。しかし忘れてならんことは食べるということを欠かしたらいかん。絶対欠かしたらいかんねん。ちゃずけでも一日食べとかな。僧鎔和上の空華忌に一遍遇ったら一年ええわって、そうはいかん。毎日食べてな。昔のお年よりは言うた。本堂で左側から聞いたら右側に抜けてしまう。ところが抜け忘れていいんです。全部覚えんでいいんです。ところがうまいなと味わったやつは残るんです。あの時食べたあれはおいしかったなというのは残るんですよ。また同じような状態になった時に思い出す。これがすごいね。

仏光照曜最第一。仏さまの光炎王。この光明がわたしたちに届いてすごいなってところがあるんですよ。それが三塗の黒闇やから地獄までいっとる。これであほなこと言うやつがおるんよ。地獄に行ってから念仏に遇おうって。いま好きなことしといて地獄行っても構わん。地獄まで阿弥陀さまの光明は来るからって。地獄におったものが光明に遇ってここまできたんよ。それ忘れてまた元へ戻るって、そうじゃないよ。しかし仏様は地獄・飢餓・畜生の境界にまで届いてる。

仏光照曜最第一
三塗の黒闇開くなり

有難いね。

弟子は師匠を超えて初めて弟子という

光雲無碍如虚空
一切の有碍にさわりなし
光沢かぶらぬものぞなき
難思議を帰命せよ

ここまで阿弥陀さま自体、阿弥陀さまご自身のお徳を話してきました。その次阿弥陀様のお働き。それは無碍にはたらいて下さる。

我々は末法五濁の凡夫ですね。鮮妙の言葉にありますよ。いつもよく聴聞に来る御同行が、ちょっと間が空いてお参りに来た時に、「聴聞はすすんでおるかな。」と聞いた。そしたら「常見寺にはちょっと来れませんでしたけど、あっちこっちのお寺でお参りさせて貰ってます。それでもなあ御院さん、まだ煩悩がぼちぼち出てましてなあ。」と言った。そしたら鮮妙が「あんたは煩悩がぼちぼちしか出んのか。」とビックリしたっていう話が書いてある。実は天岸先生に聞いてすごいなあって思ったことがあるんです。それは国王やった法蔵比丘が、世自在王仏の教えを聞いて感動して、国・王位を捨て、すべてを捨てて出家して沙門となったんやろ。それで最初に言われたのが「光顔巍々」からはじまる讃仏偈やね。我々阿弥陀さまの前で世自在王仏をたたえる偈をお勧めしてるんですね。不思議に思わない?それやったら讃阿弥陀仏偈のほうがいいのじゃないか?でもね。我々もお念仏をよろこんでる人に遇うっていうことが大切なんです。阿弥陀さまにも師匠がおられたということが大切なんです。それが偈文になってるんです。代替お経などでになってるところは大切なことが説いてあるんですからね。あそこには法蔵菩薩の四弘誓願も決意も述べられているけども、当面は師匠に遇ったっていうことがすごいことですね。人を通さなければほんとうのものは分からないんですね。今まで美味しいもの食べたことあるやろ。忘れられん味っていうのがあるやろ。「ちょっと説明してよ、ちょっと俺に味わわせてよ。」って言ったらどうする。「そんなもの言えるかい。」ってなるやろ。「一緒に食べよう。」ってなるやろ。それが伝わるんですね。「これうまい!」って言ったら一緒に食べたらわかるやろ。

さあそこでこの世自在王仏に遇われた法蔵比丘がそのあとこう言われる。
「私はあなたのようなさとりを開きたい。そして生死勤苦の本を抜きたい。」生死勤苦の本って言ったら煩悩です。煩悩をもってるものを救いたいと言ったんです。よく考えて。十方諸仏は煩悩にさわりがあるんです。煩悩を持ってるものは救われない。だからこういう修行をしたら煩悩は除かれる、六波羅蜜を修行してきれいになってきなさい。きれいになる方法を教えているんです。世自在王仏もそうでしょう。十方諸仏の一人です。それに「あなたの救えない煩悩を持った凡夫を救いたい。そういう仏になりたい。」と言っておられる。そしたら世自在王仏が「汝自當知」とおっしゃっる。「汝、自らまさに知るべし」。僕はそれが分からなかった。そんな大切なことは自分でちゃんと実行して、修行してして悟っていくものだと、こう言われたのかなあと思ったり、もしくは「論註」に曇鸞大師が法蔵菩薩は八地以上の菩薩で、じぶんで自分で悟ろうとしたら全部悟れるような菩薩やったから自分でやったらいいんじゃないかと言われたのかなあと僕は思ってた。ところが天岸浄円師は「あれはやっぱり世自在王仏だってビックリなさったんですよ。自分もできないことを教えてくれると言われて。」そう言われた。その通りですね。僕、ありがたいなあと思った。それで重ねて法蔵菩薩がお願いしますと言ったら、自分の知ってるところまではということで二百一十億の諸仏の浄土を見せられた。これが分かったんです。「汝自當知」が。自分もできないことを弟子が四生に行ったから世自在王仏がビックリなされた。これはなるほどその通りですなって梯和上がもう一つ凄いこと言われた。「師弟関係で弟子は師匠を超えて初めて弟子といいます。」師匠のままで、師匠のレプリカみたいなものやったら行信教校だって二百年も続かないよ。超えていくんです。だけど梯先生も凄いこと言われます。「弟子は師匠を超えて初めて弟子といいます。」みんな超えなあかんよ。それは念仏に遇うということですよ。

弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。
仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したもうべからず。
善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。

これ師匠・師匠となってるね。そやけど一番向こうは弥陀の本願です。それを法蔵菩薩は世自在王仏の教えを聞いて、世自在王仏の教えには限界がある。さわりがある。煩悩に。そこで五劫思惟される。そして四十八願を建てる。四十願はまだ願い、因です。それを完成するために永劫の間修行されるんです。その永劫の修行されたことをお釈迦さまが説いて下さったら、阿難が「それなら法蔵菩薩はまだ修行中ですか?」って聞いた。そしたら「いまに十劫を経たまへり」と言われる。そこでどのように成仏してくださったのかというと、南無阿弥陀仏です。そこで「さわりなく」になるんです。十方諸仏の教えも穴ぐらに篭っておっても、全部閉めても通ってくる。だけど煩悩だけはどうしたってあかん。世自在王仏だってあかん。それを世自在王仏のみもとで法蔵比丘は五劫思惟し、四十八願を建て永劫の修行をして、十劫前に南無阿弥陀仏となってくださった。それが今現にはたらいてくださる。いつでもどこでもですから。そこらのところを味わってもらいたい。これがはたらきの代表です。無碍光。阿弥陀さまのはたらきの代表です。十方諸仏は全部さわりがあるものを、さわりなく救うんです。それで尽十方無碍光如来と天親菩薩はおっしゃる。だから親鸞聖人の御消息には「詮ずるところ無碍光なり」と書いてある。無碍光が中心。無量・無辺は自分です。阿弥陀さまのご自身のお徳です。だけどもはたらいてきたところで頂くと無碍とはたらいてくださる。このことを味わってもらいたいと思います。

夢のお話/高田慈昭

昔、黒田の殿様が、正月の初夢に「一富士、二鷹、三なすび」の夢を見ました。この三つはめでたい吉夢といわれています。今年はめでたい年になるぞと喜んで画家にたのんで富士山に鷹が富んでいる下になすびの花をえがかせてみた。さらに殿様は、この絵画に何かよい言葉がほしいと、博多の名僧仙崖和尚に賛文を書いてもらいました。和尚は絵画をみて賛をかきました。

夢は、夢じゃ

夢といえば新聞に次のような話がのっていました。

夢の中で白い服をきた人が、

「あなたの苦しみや悩みをとりのぞいてあげます。お金もあげます」

といってお金をおいて去っていきました。苦しみや悩みをのぞいて金までくれるとは何と世の中にはありがたい人がいるものだと喜んでお金をもらいましたが、しばらくすると苦しみや悩みがなくなってお金までもらったのに少しも嬉しくありません。幸せな喜びもでてこないのです。どうしたことかと思っていたら白い服の人があらわれて、

「あなたの苦しみや悩みをとりのぞいてあげましたが、実はそれは喜びや幸せとセットしてあります。わかりましたか」

夢からさめて彼はなるほどと合点したというお話。

人生は禍福相対の世界で、禍いと幸福とは一枚の紙の裏表のようにセットになっているのです。私どもは、つねに禍いや苦悩をのがれて幸福をもとめて生きていますが、それは一枚の紙の表だけほしい、裏はいらないというにひとしいのです。

み仏さまのみ教えは、人生の禍福の実相を照らして禍福をこえていく道なのでした。

(寺報106号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

洗面器の底のさくらの絵/森正隆

私は善巧寺様の若院さんでした、故雪山隆弘氏の実父興弘氏の従兄弟に当る者でして、興弘氏の母親が姉、私の母が妹の関係。こう申せば、少しは輪郭が浮かんで来ましたかナ。故興弘氏は従兄弟頭(いとこがしら)で、私が一番末で十五歳違い。若院さんは昭和十五年生で私より十五若く、私を呼ぶのに、オッチャンと呼ぶか、兄ちゃんと呼ぶか、その時次第でした。

昭和十七年春、私は龍谷大予科へ入学、父の薦めで一年間、既に厳しい寮生活を送りました。一年を無事に終え、サテこれからどうするかと、思索していました処へ、ヨスミの常見寺の叔父から電話がかかり、その内容とは、ウチの息子三人とも召集で駆り出され、皆外地や。寺は無人なので、あんたとこの息子を、用心棒代りに、ウチから学校に通わせたらどないや……?と。

本人には何の相談もなく、両者は一瞬で了解したとか。その春、私は行李担いで先ずはご挨拶に参上です。“今日からお世話になります。どうぞよろしゅうに。”

常見寺には、可愛い目玉のヤンチャ小僧が二人で、兄貴の明弘は八歳で、弟の隆弘は四歳位でしたかナ。実は、ここで、世にも不思議なことに出会うたんですナ。叔父は新参の私のために、洗面器を新調してくれました。翌朝、まっ白な洗面器のぞいたらその底に、一本の桜の小枝が画かれ、余白には

散る桜 残る桜も 散る桜

の一句が添えてあったのです。私はこれで洗面すること一年半、海軍へ入隊、外地へ出たんです。

時は流れて四十余年、平成二年の秋頃でしたか、若院さんの遺稿集の扉で、この画と句を見た途端に、五十年昔の常見寺の井戸端が目に浮かび、思わず絶句!!

(寺報105号)

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善巧方便/騰瑞夢

不思議な因縁によりて人間として生まれてきて、我執煩悩に執われて、生死や老病や愛憎や損得にかかずらって、いたずらに苦悩しつつ、地獄に沈みつつある身でありながら、そのことを知らず、大きな夢を見ているようにただのほほんと暮らしている、悲しむべき存在である我等に、いつからとも知らぬ間に、その悲しさ恐ろしさの実態を知らしめて、その苦しみを抜き薬を与えようとされる大きな悲しみがありました。その大悲心が念仏の願いとなって我等に与えられているのであります。

わが名号をとなうる者をば
極楽へむかえとる

と誓われている念仏往生の大誓願でありました。我等は今日この仏の誓願に信順して、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と念仏している身に、仏はその功徳の宝をひっさげて、法性一如の世界から来生して下され、我等が身に滲み込んで、この煩悩の身を転じて菩提の身に育てあげ、娑婆の世界から浄土の世界に転身せしめつつあるのが、南無阿弥陀仏の願力の功徳なんです。

しかも人と生まれて誰でも「父さん、母さん」と親の名を呼びながら、その親に育てられてきたように、ただ口に南無阿弥陀仏〱と仏さまの名を呼ぶだけの、た易い行業によって、仏にして下さるなんて、誰も信ぜられんことでありますのに、仏さまのお計らいによって、仏に仕上げて下さっているなんて、そんなこと全く知りませなんだ、それが他力不思議ということよと聞かされて、それはそれは何と仏さまの善くも巧みなお手段(てだて・方便)をいただいているものよと目覚めて、何と何とうれしや願力(南無阿弥陀仏)さま、あら有難や阿弥陀さまよと仰ぐばかり尊とむばかり。

(寺報104号)

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他力

本堂に座り、手を合わす。

本当のわたしは、自分が楽をすることしか考えていない。
本当のわたしは、自分の欲求を満たすためにしか行動出来ない。
本当のわたしは、自分さえよければいいと思っている。
本当のわたしは、そういう自分に気づけず毎日を過ごしている。

やっとのことで、自分に少しの余裕が出来て、人のしあわせを願う時でも、
それは往々にして自分の価値観を押し付けている。
それは往々にして自分の手柄としている。

やはり、ほんとうのわたしは自分のことしか考えていない。

そう、本当のわたしは、仏さまの前に座るというこころを持たない。
本当のわたしは、仏さまに手を合わすというこころを持たない。

そのわたしが、本堂に座り、手を合わす。

他力とは仏の力をいう。

抜けるような青空のもと/山本摂叡

コンピューターを開くと伊勢にいる兄からメールが入っていた。「悲報」と題してある。「抜けるような青空のもと、猫が死んでしもうた」と書かれてあった。ペットを飼っていると、ある意味、家族以上の愛着がわいてくるものである。家にもいま、ともに九年を過ごした柴犬がいる。

九年という歳月は大きい。父はこの犬を知らない。当時中学一年だった男の子は、もう大学生である。この子にせがまれて、迎えた犬であった。二人で犬を抱いて帰った日のことは、鮮明に覚えている。感情にまかせて怒ってしまうことも、しばしば。何を怒られているのか解らず、悲しい目をしている。悪いことをしたといつも反省する。犬や猫は、死を恐れることがない。また、生に迷うこともない。「ある意味、人間より偉いのかもしれない」そんなことを書いて、返事しておいた。

横川法語の「身はいやしくとも畜生におとらんや」というのは、単純に犬猫より人間がすぐれているということを言ったものだろうか。仏法にあうということを離れて、この言葉を理解してはならない。我々がいう「優れている」「劣っている」という評価は、つきつめると自分中心の虚妄の判断でしかない。

猫は、一週間ほど獣医に見てもらい、最後は病院で息を引き取ったという。心臓も、腎臓も悪かった、糖尿病であったという。そんな人間の小賢しい判断とは別に、おそらく、猫は超然と死んでいったことであろう。

「荼毘所ではにわか坊さんの職員が、般若心経をあげてくれた。本来笑うべき光景かもしれないが、スギ花粉が眼にしみた」とメールは結ばれてあった。

(寺報103号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
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