法話」カテゴリーアーカイブ

親の手の中で

あるご門徒さんの3回忌のご法事で、故人の奥さんがこんなことを言われた。

「主人が亡くなって丸2年。ようやく主人と話せるようになりました」

生きている間は話さなかったのだろうか?とはじめは何を言っているのかよくわからなかったが、しばらくしてから自分にも思い当たるフシがあることに気付く。ぼくは生前の父とは目も合わせられない関係だった。まともに父親の顔を見たことがない。いつもチラッと見るぐらいで、それは単純に怖かったのと、自分にいつもなにか後ろめたい気持ちがあったのだろう。そんな関係のまま、ぼくが高校2年の時、父は往生した。

母親は特に想いが強くて、父が亡くなった後、家中に写真が飾られた。顔を洗っていても、食事をしていても、トイレへ行っても、そこにはいつも父がいた。「ようやく主人と話せるようになりました」と言ったご門徒さんのように、ぼくも父が亡くなってからやっと父と向かい合えることができたのかというと、そうではなかった。亡くなってからも、父の写真をまともに見ることができない。ずっと避けて生きてきた。

10年以上たって、今ようやく素直な気持ちで父と向い合うことができるようになった。生きている間に、生きた言葉を交わして心通わすのがいいに決まってはいるけれども、そうはできないことだってある。そういう者にとって法事という節目の中で、今一度故人と向い合う場所を与えられるというのは、とても大切なことだと感じる。

自分で自分を見つめるだけでは、自分のモノサシから抜け出すことはないが、対者を持ってはじめて自分自身が映し出されてくる。信仰も、仏さまという親を持つことだと受け取る。親を持つということは、一面には厳しい生き方でもあり、親に対して自分はどうなのか、今の生き方は親に背を向けてはいないか、とその都度自分を照らし合わせられる。ラクではない。でも、その根底には、親に包まれた自分があり、親の手の中にいるという大きな安心が与えられる。人生順調にいっているときには、「親なんて必要ない」とわずらわしいぐらいに思っていても、いざ壁にぶち当たったとき、前へ進むことができなくなったとき、これほどの安心はない。

ナモアミダブツは親の名だ。親を親とも思わず生きてしまうようなぼくに対して、常に包み込んでいてくれる。そのままでいいよ、とぼくの全存在を肯定してくれる。ぼくがぼくであることを認めてくれる。そして、「そのままでいい」は「このままではいけない」という力になる。ナモアミダブツ。生きることはつらいことのほうが多いかもしれないけど、そんな働きに遇わせてもらっているぼくはしあわせだ。

(仏教冊子「御堂さん」2005年11月号より)

ありがとう

うちはお寺ですが、最近、報恩講(ほうおんこう)という行事があったので、バタバタしておりました。この報恩講というのは、恩に報いると書いて、宗祖に対して感謝する行事のことです。シンプルに言うと、ありがとうの日ですね。

ありがとうって言葉を、いつ使っているか考えてみると、ほとんどがモノもらった時ぐらいでしょうか。恩というのは、大きければ大きいほど、見えにくいようで、また、こっちから求めて与えられたものじゃなく、求められるより先に、与えられたものをいうそうです。太陽や空気、なんてのもそうですね。見えにくい。というか見えない。みなさんは空気に感謝したことありますか?あ~、今日もおいしい空気吸わせてもらって、ありがとうって・・・ないですねー。聞いたこともないし、言ったこともありません。酸素マスクをはめなければ生きられない人にとっては、空気に対する感謝の気持ちがあるかもしれませんが、ぼくらは当たり前に思ってますよね。考えたことすらない。食べ物はまだ見える範囲ですが、それすらあやしくなってきます。親のご恩ってのも、耳の痛いとこですね。

恩ということについて、ひとつには、大きければ大きいほど見えにくい。そして、求められるよりも先に、与えられたものと。確かにそうですね。空気なんかは要求したわけじゃないし、請求書も送ってきません。恩というのには、もう一つ特徴があって、それは返しても返しきれないものだそうです。前に、テレビの人気タレントが、親に何千万円を送りつけたと、満足そうに言っていましたが、確かに、稼いだお金を親にポンッと渡すのは、ちょっとカッコイイですけど、それで恩を返したと思ったら大間違いのようです。親はどんな気持ちでしょうか。どんなに大金であったとしても、これで勝手に老後暮らしとけ、なんて気持ちなら、寂しいでしょうね。ありがとう、の気持ちのほうが、はるかにシアワセに思ってくれるものかもしれません。

今回は、ありがとうについて、お話させてもらいました。

ラジオ番組「ゆるりな時間」より

住職継職を振り返る

ぼくが住職を継職したのは、8年前、平成9年の秋。当時24才、学生あがりのぼくには住職という肩書きがとても嫌でした。お寺で生きていく情熱はあったけど、見習い期間もないままに住職なんておかしい!母が継ぐべきだと主張しましたが、ぼくの意見など聞く以前からとっくに準備は整えられていて、結局言われるがままそのポジションに座ることになりました。継職法要自体もすべてぼくの意思とは関係なく、借りてきた猫のように。

「あなたは何もしなくていいから黙ってそこに座っていなさい」

というまわりからの視線は、活気盛んな20代のぼくにはあまりにも苦痛な出来事でした。お寺が嫌なわけではない。でも、自分の意思を必要とされていない住職は嫌でした。ある程度見習いをさせてもらってから、少しでも自信が持てるようになって住職を継職したい。

結局、住職という名前はあまり考えずに、見習いのつもりでお寺の仕事をやろうと考え、無理やり自分を納得させました。そう納得させながらも、ずっと「住職」という名前に縛られていました。住職だからこうしなければならない、とか、住職と見られるようにならなければ、と。まわりからの期待や要求、責任。一方で自分の理想とする住職像と、求められる住職像とのギャップ。自分の理想にも他からの理想にもかけ離れた自分の無力さ。そのくせ「俺は出来るんだ!」という強いプライド。認められたくてしょうがなかった。また、それらのプレッシャーや気負いは絶対に人には見せたくないというプライド。「住職なんて、自由職だぜ!」ぐらいのスタンスを装いつつ、いつしか人と会うことが苦痛になっていきました。多くの人と会いながらも、心は常に閉じていて、ひとりになることだけが安らぎ。完全に孤独にはまったぼくは、3年弱で自己崩壊。逃げました。

2年が過ぎ、再びお寺に帰り着き4年目になりました。

「人生は苦」。「苦」とは「思い通りにならない」ということ。悲観的にではなく、人生は苦なんだというお釈迦さまの言葉を受け入れてから、だいぶ楽になりました。今は自分の力もある程度知りつつ、地道に地盤を固めたいと思っています。無理せず、しかし開き直らず、なるべく等身大の自分でいること。野望は多く持ち続けていますが、とにかく10年は下積み期間のつもりで。

学生生活や一人暮らしで、プチ自由を味わっているぼくらの世代の1番苦手なところは、持続力と忍耐力。飽きやすくて、すぐに「めんどくさい病」が顔を出す。結果、何一つものにならない。その戦いだけに終わらないよう気を付けよう。

(2005年のブログより)

季節の中で/山本摂叡

子供のころ、もっとも好きな季節は夏であった。贅沢に遊ぶということに縁はなかったが、無限とも思える自由があった。母の故郷で暮らした夏の輝き。糊の効いた真っ白なシーツ、そこで迎える家での眠りも、また絶品であった。

いま自分の好きな季節を言うのは難しいが、夏の終わりに寂しさを感じるのは、昔と変わらない。もう一度海辺の輝きと戯れてみたい、そしてあと何回この夏を迎えることが出来るだろう、いつかそんなことを考える年齢になっている。

お釈迦様の入滅、涅槃をどう考えるかは、仏教徒にとって大きな課題の一つであった。それに対する大乗仏教からの答え、その集大成が「涅槃経」の成立であった。そこでは如来性の常住、仏性の常住が語られる。やがてそれは、「一切衆生悉有仏性」という普遍的な世界観にまで展開されていく。

法然聖人は念仏することについて、

念仏の声を聞き、その一声一声に従って、決定往生と味わいなさい

と言い切っていかれた。念仏する時はいつも、往生が定まる時だと言うのである。それはここにいる私が、永遠の真実に出遇う時なのでもあった。昔味わった夏もよかったけど、こんな世界を学ばせてもらうようになった今もまた、幸せであると思う。

この寺報の出るころ、富山の秋は一段と深まっていることだろう。

(寺報117号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

花まつり

今回は、「花まつり」についてお話してみようと思います。みなさん「花まつり」っていうのは聞いたことがあるでしょうか?クリスマスは有名ですけど、花まつりはそれほど有名じゃないですね。クリスマスは、イエスキリストの誕生日。これは誰でも知ってますね。花祭りは、インドに生まれたゴータマシッダルタという方の誕生日です。仏教を説いた方で、のちにお釈迦さまと呼ばれます。イスラム教をひらいたムハンマドという方の誕生日はマウリド・アン・ナビーと言うそうです。いずれも、その生誕を祝うまつりですが、ここ数十年の話とはいえ、日本では圧倒的にクリスマスが有名ですね。

さて、こんな曲を聴きながら、今回は花まつりのおはなし。

花祭りの主人公、ゴータマシッダルタ、のちのお釈迦さまは、インドに2500年ほど前に生まれました。はなしによると、生まれてすぐに7歩歩いて、天上天下唯我独尊、と言われたそうです。生まれてすぐに歩いたりしゃべったりなんておかしい!っていうとこで、遮断する方がいるかもしれませんが、そこにどういう意味があって、なにを言おうとしているかを見ていかないともったいないですね。この天上天下唯我独尊という言葉、聞いたことあるでしょうか?以外に近くで見ているかもしれませんよ。最近はめっきり見なくなりましたが、でっかい音ならして走っているバイクに乗っている人たち。たまにこの文字を背中にしょっているようです。

天上天下唯我独尊

意味は、「天にも地にも、わたしのいのちは、誰にもかわりようがなく尊い」ということだそうです。ひとりひとりのいのちは、誰にも代わりようがない。いのちはそれぞれに絡み合っていて、関係のないものは何一つなくて、無駄なものもひとつもない。すべてが尊いんだ。そういうこころの領域をひらいたものを、仏教では仏といいます。

ラジオ番組「ゆるりな時間」より

あたたかなひかり/利井唯明

陽の光が暖かくなってきました。冬の寒さに身を縮こめていたのが嘘のように、身も心も和らいできました。暖かな光に包まれるとき、親鸞聖人のお書きになった御和讃を思い出すのです。

無碍光の利益より
威徳広大の信をえて
かならず煩悩のこほりとけ
すなわち菩提のみずとなる

高僧和讃の曇鸞讃には、阿弥陀様の他力信心を得たならば、必ず煩悩の氷が解けて浄土を願う菩提心となると、親鸞聖人は阿弥陀様のはたらきを讃歎されています。この御文は私の煩悩が消えてなくなると言う事を言っているのではありません。私たちは煩悩一つ除く事が出来ない身であり、この命が終わるまで煩悩を纏いながら生きなければなりません。それはどうしようもない事実なのです。

しかしながら、阿弥陀様の光に出会い、阿弥陀様の救いの目当てが煩悩具足のこの私であったと気付かせて頂くのです。煩悩の火が燃える度に阿弥陀様のおはたらきを感じ、煩悩に振り回される度に暫愧するのです。地獄行きの私の煩悩がそのまま喜びの種となるのです。その阿弥陀様のはたらきが南無阿弥陀仏のお念仏となって私にはたらいているのです。お念仏申すとき、春の光に包まれているような、阿弥陀様のお慈悲の深さを感じずにはおれません。

(寺報115号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
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御文章について/梯實圓(寺報71号)
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報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
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往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
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報恩講/若林眞人(寺報97号)
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いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

生死いずべき道/服部法樹

弘法大師空海の書いた『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)という書物の序文に

生まれ、生まれ、生まれ、生まれて生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで死の終わりに冥(くら)し

という言葉があります。要するにこの私の命はどこからやって来たのか、またこの命は死んでどこに行くのかも解らないというのです。こういう状態を「迷い」と言います。

ところで、生死に迷っている者に道を尋ねても答えは返ってきません。もし答えてくれたとしてもそれは無責任な答でしょう。迷っている者は迷いを超えたお方に道を尋ねたとき、進むべき道を知ることができるのです。

以前家族で遊園地に行ったとき、巨大な迷路がありました。私たちも親子四人でその迷路の中に入って行きましたが、なかなか出口までたどり着くことはできませんでした。しばらくして三歳の娘が急にトイレに行きたいと言い出しました。迷路の外に出ればトイレがありますが、迷路の外に出るには、入口に引き返すか、前に進み出口に向うしかありません。まわりに居る人に道を尋ねようとしても、その人たちも迷っているので教えてはいただけません。ただ右往左往するだけで、あせればあせるほど迷いは深くなるばかりでした。たまたま非常出口と書き示した矢印があり、指示に順って進むと出口があって事なきを得ました。

このことから、迷っている私は迷いを超えた仏様に道を尋ねたとき、初めて迷いを超えてゆく道を知ることができるのだということを思い知らされました。その道しるべこそが

必ず浄土に生まれるといただいて念仏を申せ

という本願の言葉でしょう。私たちはその本願の仰せに順って念仏を申す人生を歩む時、はじめて生死いずべき道が開けてくるのです。

(寺報114号)

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混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
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生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

五悪

今回は「悪」をテーマにお話ししてみようと思います。
仏教では、5悪と言って、特に1番してはならない悪を五つ上げいます。

1、生き物を殺してはならない
2、ものを盗んではならない
3、よこしまなことをしてはならない
4、嘘をついてはならない
5、酒を飲んではならない

悪を規定していくというのは、どの宗教でもあることですが、これらは守ったから救われる、守らないから救われないというよりも、信仰を守る中で、教団を乱さないという意味と、自分をコントロールしていく意味がありますね。ということは、逆に見ると、コントロールしていかないと何をしでかすかわからないのが人間ってことになります。

宗教はそれを仏や神の物差しで計りますが、国単位では、代表者が決める法律というのがありますね。国だけじゃなくて、県でも、町でも、会社でも、学校でも、家族でも、なにかしらのルールがあります。複数の人間が集まると必ずルールが生まれます。これらは、そこで生きていく上で守るべきことです。ただ、それは時代や場所によって変化します。お酒ひとつとっても、サウジアラビアでは禁止されているそうです。また、タバコの年齢制限をもっていない国もあります。吸い放題です。

一つ目の、生き物を殺してはならないというのは、人に限ったことではありません。それじゃあ生きていけないじゃないか、ってことなんですけど、それだけ罪を作りながら生きている自覚を持つということでしょうか。意識せずに悪いことをしているのと、悪いと感じながら、そうせずには生きられないというのでは、だいぶものの見方が違いますね。そこには申し訳なさとか、感謝の気持ちが生まれるのかもしれません。

五つの悪の中には、ものを盗んではならない、というのがあります。ぼくは小学生の頃盗みクセがあったらしくて、親がとても困ったそうです。何度叱っても人のものを取ろうとするので、困り果てた親は、親戚のおじさんに相談しました。このおじさんは若い頃散々悪いことしてるんです。だからこの人なら治す方法がわかるかもと思って聞いたんでしょうね。その時おじさんはこう言ったそうです。
「人のものを盗むんは、自分に自信がない証拠や。自分に自信がつくまで直らんわ」

自信がないから物を盗む。自分にはなにもないから物を盗む。そんなとこでしょうか。さて、今回は悪ということについて、少しだけお話してみましたが、皆さんは、自分にとって絶対にしてはならないこと、どのぐらいありますか?

ラジオ番組「ゆるりな時間」より

いずれの行もおよびがたし/藤澤信照

先日、比叡山の無動寺谷を訪れ千日回峰行を終えられた上原行照阿闍梨に、お話をお伺いする好機を得ました。

千日回峰行は、比叡山の峰々谷々の諸堂霊跡二百六十余カ所を礼拝しながら、毎日三十キロを超す山道を歩き回り、七年間で千日の行を完了するもので、七百日直後には、九日間の断食・断水・断眠・不臥の行も待っており、しかも途中で投げ出すことの許されないという決死の苦行なのです。阿闍梨は、私たちに対しても同じ仏教者として敬意を表しつつお話しくださったのですが、最後におっしゃった大変謙虚なお言葉が、かえって私の心に印象深く残りました。

千日回峰行は、難行ではありますが、決して不可能な行ではありません。幸いに私は、自ら行を終えられた師匠に、直接指導を受けることができたおかげで満行の日を迎えることができたのです

それから数日経ったある日、私はふと『歎異抄』第二条の「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」という親鸞聖人のお言葉を思い出し、上原阿闍梨の言葉と重ねながら、聖人の回心について考えていました。聖人は比叡山の行に挫折して山を下りられたのか。いや、そうではない。どのような行をやっても、仏さまの心に少しも近づけない、ということに苦悶されたのだ…。

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり

聖人を導いてくださる師は山外におられる法然聖人でした。「いずれの行もおよびがたき身なれば」とは、確かな救いの喜びに裏付けられた言葉だったのです。

(寺報113号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿

華麗な緞帖が降りて終焉を告げた…。寺門全員、誰もが予想だんしていなかった前坊守様の急逝である。

前坊守様は木辺錦織寺本山の血を引き、大正七年本願寺由緒の滋賀本行寺にその生を受けられた。娘時代、二十代の若さで本山執行長(現在の総長)を務め、また光瑞猊下最高のブレーンとして当時珍しかった外遊を度々された父、藤山尊證師から大局を遠望する姿勢を学び、また母からは大らかなこころと厳しい躾を受けられたと聞く。

いま「慈光院様」と諡号された如く、確かに前坊守様は、周囲の人々をいつの間にか温かく包み、和やかに癒してくださるお人柄であった。そして控えめな優しいそのお振る舞いの中に、自らは穀然とした姿勢を貫かれたご一生であった。大きな声さえ出さず、むしろ寡黙であった前坊守様。誰も前坊守様が他人の悪口をおっしゃるのや愚痴、世間的な噂話を聞いたことがないであろう。そんな不毛の俗事に煩わされるよりも、もっと大きい視点を持ち、多くのご門徒と共にある事の大事さを充分に自覚し、坊守の座を大切になさっていた。

かつて戦後の混乱する時代、能く住職を支え、妻として、母としての義務を立派に果たされたその足跡は無限に大きい。また老いては若い世代が自由に強化活動に励む姿を、温かく見守られた…。葬儀を哀しく飾る梨園の名優たちの供華を眺めながら、前坊守様の生前の世界の広さを、今にして知らされる我々である。

(寺報112号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)