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「いのち」の風光/梯實圓

お釈迦さまの弟子のなかでも、とくに多くの人々から尊敬されていたのが十大弟子といわれる方々でした。その人たちはいずれも、智恵第一の舎利弗(しゃりほつ)、神通第一の摩訶目犍連(まかもっけんれん)、頭陀第一の摩訶迦葉(まかかしょう)、多聞第一の阿難(あなん)というふうに、みな第一という尊称をつけてよばれています。

舎利弗は仏弟子の中でも、智慧がとくにすぐれていたから智慧第一といい、摩訶目犍連は神通力(超能力)でもっともすぐれていたから神通第一とよばれ、摩訶迦葉は頭陀(厳格な生活態度)にかけてはその右に出るものがいなかったから、頭陀第一というのです。また阿難は、いつもお釈迦さまのおそば近くにつかえ、お説きになった教えを細大もらさず記憶していたので多聞第一とたたえられたのです。

このようにお弟子の一人一人が1番であったということは、お釈迦さまの教育方針が、みんなを同じ規格にはめて、割一的な人間を育てようとされなかった証拠です。粘土細工のように人間を規格どおりに造りかえることなどできませんし、無理にしようとすれば、必ずおさまりのつかない混乱におちいってしまうにちがいありません。

人はみな一人一人ちがった個性をもっており、その人しか生きようのない人生を送り、その人しか死にようのない死を迎えていくのです。その意味で、他人と代わりようのない、文字通り「かけがえのないいのち」なのです。その人しか生きようのない人生を、他の人と比較して、善いとか悪いとか、上とか下とか評価することは許されないはずです。

そうした一人一人の「いのち」のかけがえのなさにめざめ、与えられた「いのち」の火を、自分しか生きられない生き方で燃やしつくしていった人たちだったから、仏弟子たちはみな第一と讃仰されたのです。「青い蓮華は青いままで輝き、白い蓮華は白いままで光る」と説かれた浄土のすがたこそ、まことの「いのち」の風光をあらわしているのです。

寺報74号(平成7年1月1日)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

報恩講をむかえて/利井明弘

すこし前まで、私は二十貫を越す巨体だった。もっと前の二十歳前後は、十六貫位で水泳の選手をしていた。水泳をしていた頃には、駅の手前でホームに進入してくる電車を見つけると、長い階段を一気に三段づつ位上り、改札所を定期を見せながら走り抜け、また、階段を駆け降りてギリギリ電車に間にあった。しかし、たまには目の前で電車のドアが閉まってしまうこともあった。ドアの向こうの乗客と目があったりして、そんな時のバツの悪さは誰でも知っている通りである。大体、階段は真っ直ぐついておれば、一気に走れて良いものを、途中に踊り場なんかがあるから、あそこでタタラを踏まなければ充分間にあったのにと、悔しまぎれにそんなことを思ったりした。

ところが、体重が二十貫を越えて、年も取ってくると、遠くに電車が来るのが見えても、次の電車にしようと、急ぐどころかかえって歩みをゆるめるようになった。そして、階段を重い身体を支えながら、フウフウ云いながら上って、途中の踊り場のところで一息入れるのである。そして、始めて踊り場が足を休めるために造られていることに気がついた。若いころ邪魔だった階段の踊り場が、造った人の親切であったと気づきて見れば、コンクリートの粗末な階段に、ちゃんと手すりまでついているのである。元気な時や、有頂天になっている時には一つも感じない、人の親切やご恩は、自分が苦しかったり悲しい時に、身にしみて受け取れるようである。

孤独とは、孤は幼くして親と別れ、独は老いて子と別れるという意味であるが、親鸞聖人のご一生は、孤独そのものであったと思われる。九歳で親と別れて叡山に上り、八十四歳の年にご長男の善鸞さまを勘当されている。しかし、この孤独の中から大きなご恩をかみしめて、喜びの人生を味わっておられるのである。阿弥陀さまの救いが、どのように大きく、親鸞聖人が喜ばれたお念仏が、どれほど深いご恩であったかを、この報恩講に味わいたいものである。

(寺報73号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

前を訪(とぶら)へ/高務哲量

親鸞聖人は畢生の著「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」を結ぶに当たり、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)の「安楽集」から御文を引かれます。

前(さき)に生まれん者は後を導き、後に生まれん人は前を訪へ、連続無ぐうにして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海をつくさんがためのゆえなり


と。「とぶらう」とは、現在多く用いられている「弔う」と同じ意味であり、問いだずねるということ。前に生まれた人は、後に続く者に、道を教え、導いていって下さい、そして後に生まれた人は、先人に進むべき道を問い訪ねていきましょう。そしてその営みがあい続いて、途絶えることのないように。なぜなら、一度きりの掛け替えのない苦悩のいのちを生きる者どうしなのだからと。

お浄土のお法(みのり)が、今日の私に伝えられるために、どれほどのいのちの歴史があったのか、ということに想いを馳せましょう。それは私のいのちに連なる祖先の方々は無論のこと、まさに無数ともいうべき有縁の方々のいのちの歴史。人は、人なるが故のいのちの不安ともいうべき苦悩を引き受けねばなりません。私はどこから来てどこへ行くのか。この私のいのちにどういう意味があるのかと。

幸いにして私たちは、お浄土のあることをお聞かせにあずかりました。必ず仏となるべきいのちを生きるものであることを知らせていただきました。このいのちの帰るべき方向と、如来様からそのいのちは掛け替えのないいのちと願われ続けてきたことを、先人は永代に伝えるために、このご本堂を私たちにまもり残して下さいました。阿弥陀様のご本堂があり、ここで浄土のお経が読まれ、説かれ続ける限り、後に生まれるものも、この苦悩の人生を空しく終えることなく、同じ一つのいのちの世界に帰って行けるのでしょう。

永代祠堂会(えいたいしどうえ)。後に生まれた者として、先人のお心を訪ねつつ、前に生まれた者として後に続く人に、そのいのちは阿弥陀様から願われたいのち、お浄土に変える尊いいのちですよと伝え残してゆく大切な大切なご法縁。

寺報72号(平成6年7月1日)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

ご文章について/梯實圓

蓮如上人といえばすぐに連想するのが「ご文章」ですが、上人がはじめて浄土真宗のご法義を伝えるために、信者にあてたお手紙の形式の「ご文章」をお書きになったのは寛正2年(1461)、47歳のときでした。宛先は近江国(滋賀県)の金ケ森に住んでいた道西であったといわれています。

この年は、上人が本願寺第八代の宗主となられてから4年目でしたが、ちょうど宗祖親鸞聖人の200回忌にあたっていました。このときの「ご文章」は、「お筆初めのご文章」とよばれていますが、浄土真宗の教えの中核である信心正因、称名報恩のいわれが、まことにやさしく説き示されていました。

このようにお手紙をもって信者にご法義を伝えたり、あるいは異端邪説を批判したり、あるいは念仏の行者の日常生活を指導されたのは、遠くさかのぼればすでに法然聖人のうえにも見られましたが、とくに親鸞聖人には晩年、関東の門弟たちにあてられた多くのお手紙があります。おそらく蓮如上人はこうした両聖人の先例にならわれたのでしょうが、現在確認されているものだけで250余通にのぼる「ご文章」が残されています。

とくに越前の吉崎御坊にご滞在中のものがおびただしい数に上がっています。それは文明3年(1471)から、文明7年にいたる4年間で、上人の57歳から61歳のときでした。実は本願寺教団の勢力は、この4年間に爆発的な進展をとげ、それまでは見るかげもない弱小教団であった本願寺が、北陸一円から日本全土にひろまっていったときだったのです。

「ご文章」は、そのときいわば蓮如上人の分身となって、在々所々の僧侶や門徒に語りかけ、信仰と生活を指導するという役割をはたしていったのでした。年月はへだたっていますが、「ご文章」を聞くことは、じかに上人のご教化にあわせていただいているのだということを忘れてはなりません。

寺報71号(平成6年4月1日)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

ご意見承りましょう/利井明弘

大瀬戸幸子さんは、善巧寺の門徒の家に生まれた。縁あって広島の呉に嫁いで五十年になる。嫁ぎ先の呉の広というところは安芸門徒と呼ばれる人たちの在所が集まっている。善巧寺の僧鎔師とならび称される学僧であった、石泉派の僧叡師もその昔この広に生まれていた。その遺徳であろうか、瀬戸内海に面したこの地方で、平成の今でも、毎月十六日の親鸞聖人の御命日は「お逮夜」と称して、漁師も魚屋も休みになるのである。幸子さんは、その在所の有難い大瀬戸ミエさんというお同行に乞われて、大瀬戸家の嫁になったのである。

昭和二十年、幸子さんは二十二才だった。新婚第一夜、姑となったミエさんが幸子さんに頼んだことがある。夕方の正信偈のお勤めが終わった後、お導師の席に幸子さんを座らせて、下座に座った姑のミエさんが、頭を下げてこういう。

「ご意見たまわりましょう」

どうすればよいのか分からぬ幸子さんに、ミエさんは一枚の紙を渡した。そして、これを私に読んで聞かせて欲しいと頼んだのである。そこには、次のように書いてあった。

念仏行者のたしなみは
第一我が身をつつしめよ
なるべくアゴをば動かすな
《中略》
家に波風おこるのも
言葉が先で手がつくぞ
言葉の上より掴みあい
後には命も失うぞ
つつしむべきは口なるぞ
南无阿弥陀仏のみ仏が
出入りまします門なれば
戸口の締まりがかんじんぞ

聞き終わったミエさんは「ご意見有難う御座いました」と深々と頭をさげる。これが、ミエさんが亡くなる日まで、四十数年間、続いたのである。

意見を云って聞かせるのではなく、自分が聞かせて貰うというこの素晴らしさ。ミエさん亡き今、幸子さんは、暗記してしまったこの「ご意見」を頭の中で繰り返しながら、お念仏に会えた喜びを噛みしめている。善巧寺の若はんの法友でもあった幸子さんは、今年も浦山に帰る日を楽しみにしている。

(寺報70号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

空華忌に思う/利井明弘

思えば空華僧鎔和上の200回忌には、弟の隆弘も元気でありました。「若はん、若はん」と善巧寺の門信徒の皆さんに呼ばれて、あちこちと走り回っていた姿が目に浮かびます。早いもので、その弟が亡くなって、もう丸3年になります。弟が善巧寺にご縁を頂いたのも、僧鎔和上の冥護のたまものでありましょう。

私たち兄弟が育った高槻の常見寺には、行信教校という、創立以来百十余年になる宗学を学ぶ塾があります。この塾は私たちの曾祖父鮮妙が創設したものでありますが、実はこの鮮妙は僧鎔師の曾孫弟子に当たるのであります。現在も全国から集まった九十名余りの学生が、僧鎔和上が説いて下さった空華の宗学を学んでいます。その中には、次の善巧寺を背負って立つ俊隆君もいるのです。あと数年もすれば、僧鎔和上の教えを学んで立派なお坊さんになってくれるでしょう。

善巧寺に残る記録によれば、僧鎔師の百回忌には、行信教校初代校長の鮮妙がご招待を受けて参詣し、百五十回忌には、私たちの祖父興隆が、大阪から善巧寺に参っております。しかし、祖父の興隆にはご招待がなかったようで、自分から参ってきて、ご法話をさせて頂き、その時、善巧寺の満堂のお同行が感涙にむせんだと記録させているそうです。この話を二百回忌に父と共に参詣させて頂いた時に話してくれた隆弘も今はお浄土です。又、その時、参詣の記念にと桐谷先生、山本先生、それに父の三人が寄せ書きした軸が今も善巧寺の書院に掛かっていますが、ついこの間のことなのに、この世には一人も遺ってはおられないのです。何と人生は無常ではありませんか。しかし、私たちは幸いお念仏を聴聞させて頂いています。急ぐこともありませんが、お浄土で、この世では遇うことができなかった僧鎔和上や、鮮妙をはじめご縁あった人たちと、どんな風にお遇いすることが出来るのか、今から楽しみにしているこの頃であります。
(寺報69号)

ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

僧鎔師の心を味わう/利井明弘

このテキストは平成3年、寺報58号に掲載されたものです。

明教院から雪華院へ さらにつづく空華の心

行信教校長 利井明弘師

 僧鎔和上の空華忌です。じつは僧鎔さんの百回忌に私の曽祖父である利井明朗がお導師をさせていただいてるんです。弟のお葬式の時に、この辺を歩いておりましたらね、僧鎔和上も明朗もこの辺を歩いておられたんやなあ、今頃は弟が明朗じいと逢うとるなあと思いましたね。
 百五十回忌の時は利井へ案内がなかったんです。その日の夕方ここへ大きな男がやってきて「よすみの利井や」というた。
 そのじいさんがお参りした後大演説をして満堂のお同行が感涙にむせんだということです。この興隆じいがなくなったのは私が小学校五年の時、弟が小学校に上がる年でしたから、私もよく知っています。 
 二百回忌には私の父がお導師をさせてもらって、その帰り二人で話したんです。「お浄土へ帰ってからのみやげ話がまた一つできたね。おじいちゃんに逢うたら、同じようにおまいりさしてもらったよって言えるね」と。
 二百五十回忌には、私の息子がここへ来てくれるであろうと思います。
 弟のご縁もありますが、ここのお寺と私のお寺とは大きい大きいご縁でつながっていた、そんじょそこらのご縁ではないのでしょうね。僧鎔師の教えられた方の弟子が、私のひいじいのお師匠、ということはひいじいは僧鎔師和上のひまご弟子ということになります。僧鎔師和上からずーっと線をひいてくると、つながっている深いご縁がみえてくるんです。
 空華の一番の特徴は”理屈よりもお念仏でよろこぶ”、もっと言えば、こちら側には何もないというのが徹底しているのが僧鎔師和上の考え方なんです。私の力は何も認めない、すべてしていただいているというのが、空華の一大特徴です。そんな私だから、阿弥陀さんが働いてくださってなかったら、お浄土へ行けないんですよ。こうしたら助かるかああしたら助かるかという話じゃないんです。おまかせなんですよ。
 今、ここの俊隆くんが私のところに来ているんですが、俊隆が勉強している部屋がじいさんの書斎だった、そこに隆弘もいたんですが、この興隆の隆をもらって隆弘というんですがね。この書斎で、じいさんが父に云うんです。「よかったなァ」このことばはなかなかでんもんです。まちがいなく救うよ、なまんだぶつよ、安心せえよ、なまんだぶつと唱えなさいよ、絶対に救うぞというておられる。これはね聞いて今安心できるんですよ。何べんも聞いているうちにわかるなんていうもんとはちがう。この世の命が終わった時、必ず救うという仏さんがいらっしゃる。まちがいないことです。それをきいて、「なまんだぶつ、よかったなあ」といえるんです。
 「よかったねぇ」と逢いましょうね。まちがいなく隆弘もここのおじいさんたちもよかったなぁと逢える場所に生まれられるんです。

仏縁/高田慈昭

このテキストは平成2年、寺報54号に掲載されたものです。

「お寺へ参りなさいよ」
「いや、わたしはまだ早い」

行信教校教授 高田 慈昭師

 高田でございます。空華忌にまたご縁をいただきました。
 ご当地北陸というところは、仏法のご縁が、厚いところでございますが、地方へまいりますとなかなか、ご縁がうすいところもございます。
 なかには、わかったような顔して、仏法をあやまって解釈しているものもいる
 うちの近くの奥さん、もう年は七十ぐらいなんですが、
 「奥さん、お寺に参りなさい」
といいますと
 「まだ、わたしは早い」
といわれる。何が早い?いつ行くかわからん世の中ですよ、元気なうちに聞いておきなさいよ、といっても聞こえません。こういう考えの方が多いんですね。
 こちらには「雪ん子劇団」というのがあってね、小さいころから仏縁をむすんでおられますがね、私のほうでも日曜学校や仏教青年会、婦人会といろんな折に仏教のご縁をむすぶようにしているんですが、なかには、「まだ早い」という人がけっこうおられる。
 いや、これは他人事ではありませんね。わたしだってそうでした。お寺に生まれることがなかったら、一生仏法を知らずに終わってたかもしれません。それもね、若い頃は坊さんになるのがいやでね。子供の時にみんなに「坊主、坊主、たこ坊主」なんてバカにされたりしまして、もういややというて、お寺を飛び出そうと思ったこともあります。
 大学入試のころでしたか、仏教に関係ない学校へ行こうと思いましてね、長男でしたが、いろんなところに願書出したんです。ところが全部内申書の段階ではねられた。高校時代にちょっとしたことで停学処分を受けたんですが、これで引っかかって、全部ダメ。うらみましたねえ。その時の先生を。
 でもね、今はよろこんでおります。あの先生があの内申書を書いて下さっておらなかったら、いまの私はなかった。仏法よろこぶ私に育ててくださったのはあの先生のおかげだったとね。お念仏は、いま救われたら、未来も救われる。そして過去までも救われて、おかげさまとよろこぶ身にならせていただけるんです。
 いや、これもよくよくのご縁だったんですね。
 ところで、最近、あの「坊主、坊主、たこ坊主」とからかっていた連中と、よく出会うんです。同窓会でね。うちの学校は大阪の街中で、おまけに、うめよふやせよの時代でしたから、一学年に四百人もの同級生がいるんですが、このごろの話題といったら、まず仕事、ゴルフあたりがはじまりで、つぎに体のこと、病気の話。あっちが痛い、こっちがたまらんなんてね。で、なかにはお医者さんもいますから、みんなそこへかたまって、ワイワイ、ヒソヒソやるわけです。
 で、これで終わりかと思ったら、つぎににぎやかになるのが坊さんのまわりです。四百人の同窓生の中で、坊さんはわたし一人なんです。えらい繁盛で、みんなにやってきます。
 「おい、高田君、お前、坊さんやったなあ。仏教ちゅうのはどんな教えや。うん、俺ももう定年やしなあ。心の整理もつけとかんといかんと思うてな」
 「一体人生って何なんやろかよ近頃思うようになったわ」
 とか言いながら、一流会社の社長も大学の先生も、やってくるんですが、みんな仏法がわかっとらんですなあ。
 「親鸞がどうした、道元がなんじゃ、釈迦がなんじゃ」
 なんて偉そうなこと言っていた証券会社の部長をしている男が、えらい病気で死にかかった。で、回復したら四国の八十八ヵ所巡礼しとる。
 「なんや、お前、家族がなんじゃとかえらそうなこというとって」、
 といったら、
 「やっぱりいのちがおしい」
 表面ははなやかそうな顔しておるけれども一人一人の心の中に入ってみると、いろんな悩みをかかえとる。で、年いってくるとだんだんそういうことがわかってくるんです。
 ですから、お寺参りは年とってからというのもあながちまちがいではないということになりますね。宗教というのは、やっぱり人生のいろんな経験をして、そこに本当の安らぎを求めてこの世に生まれてきてよかったなあ、と安心していき、安心して死んでゆける身にならせてもらうものだと思うんです。
 生きるよりどころと、死のおちつき所をはっきりと知らせてもらうのが宗教なんですから。

明教院の心を味わう~本典一渧録より~

このテキストは、昭和63年、空華忌の法話を一部抜粋して寺報(49号、50号)に掲載したものです。

行信教校教授 利井明弘師

ひそかにおもんみれば

 恒例の一泊聞法に、今年も寄せていただきました。このたびは、弟の病気で門徒の皆様にも、いろいろご心配、ご迷惑をおかけしたことと思いますが、まあ無事に退院しまして、私もホッとしておるところでございます。
 今回の法座では、明教院僧鎔師の講録であります「本典一渧録(ほんでんいったいろく)」から「総序(そうじょ)」のご文を味わってみようと思います。
 これは、親鸞聖人の著わされた「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」の注釈本でありますが、昔はこのご本典というのは、簡単に読ませていただくなんてことはなかったんです。師匠から弟子へ、書写を許されて、ようやく拝見できるというもので、一般には公開されていなかったんです。
 ですから昔の学匠方でも、「教行信証」を直接釈しておられる方は少ないんです。普通は「六要鈔(ろくようしょ)」という存覚上人が著わされた「教行信証」の注釈本がありまして、これを通して、ご本典をうかがうという形でありました。
 ところが明教院僧鎔師は、この「教行信証」を直接読んで注釈しておられるのです。それだけでも大変なことだといわねばなりませんが、じつはこの注釈は、当時のご門主、文如上人のご命によってご講義なさったものの講録なんですね。僧鎔師50歳の折、安永2年11月18日から翌年3月15日までかかって講義され、それをまとめた”秘書”であると記録にのこっています。
 この第2席目に出ていることなんですが、この「教行信証」は、親鸞聖人の腸胃、つまりハラワタだとおっしゃっております。
 昔、中国に仏図澄(ふとうちょう)というえらいお坊さんがおられまして、その方は左脇腹に三四寸の穴があり、その穴より光明を放って、夜になるとその光をもって聖教を読まれ、時にはそこからハラワタを取り出して洗われた、とあります。普通の人ならこんなことはできないが、聖者の不可思議であろうと僧鎔師はおっしゃる。
 そして、今これを思うに、親鸞聖人のハラワタはこの一部六巻の「教行信証」であって、そのハラワタはこの一部六巻の「教行信証」であって、そのハラワタを直説頂だいすることは、よくよくの因縁とよろこばねばならないともおっしゃっています。
 この因縁を私も感じていましてね。僧鎔師はこの善巧寺のお方でね、大切なものはハラワタのようなものだとおっしゃり、仏図澄という左の脇腹に穴の開いたお坊さんの話をしておられる。ちょうど、弟が病気になって、左脇腹に穴をあけております。ここにきて、弟の話をしながら「お前もその脇腹から光が出てきて、お聖書を読むことができるか」と聞きましたら「まだ見えん」といっておりましたが、まあ、見えないのが当然でありましょうが、腹の中はきれいに洗ったようですから、ちょっと仏図澄師に近づいたかもしれません。
 さて、ご本典というのは、本当に大切なものであるというお話を僧鎔師の、ハラワタの例えで味わったわけですが、このあたりで総序の本文に入ってみようと思います。
 まずはじめは「ひそかにおもんみれば」(窃以)というお言葉です。僧鎔師はこれを「発端之詞」といっておられます。これはまあ、拝啓とか、前略とか、そういうはじめの言葉というほどのことでありますが、鮮妙(せんみょう)は、ひそかにとは「卑謙之詞」と申しております。
 この心は「いうことも出来ないわたしが」ということでもあります。そして、おもんみればとは「そんな私が申させていただく」ということであります。つまり、否定と肯定が二文字に込められているわけです。
 しかし、考えてみますと、今は「ひそかに」なんて心、まったくありませんね。なにもかもが、わかってる、わかっている、わかってるの世界です。でも、本当にそうでしょうか。そんなことを、この「ひそかに」という言葉は、わたしたちに問いかけているような気がします。
 理性、知性、金銭万能の時代のようですが、それでいいんだろうか、その辺を、皆さんとともに考え直してみなくては・・・と思うことであります。

難思の弘誓は難度海を度する大船

 明教院僧鎔和上の孫弟子に当たります利井鮮妙が、宗祖親鸞聖人の650回忌の折に、前回からお話しております「総序の御文」を読誦用にしてご本山でおつとめになったことをたいへんよろこんで文章に残しておるのですが、それ以来でしょうか、私たちの行信教校(ぎょうしんきょうこう)では、授業がはじまる前のおつとめで、必ずこの「総序の御文」をみんなで声をそろえて読むしきたりになっております。
 で、この御文の最初に「ひそかにおもんみれば」とあるわけですが、前回夏にここの味わいをお話ししたようですので、

 難思(なんじ)の弘誓(ぐぜい)は
 難度海(なんどかい)を度(ど)する大船(だいせん)
 無碍(むげ)の光明(こうにょう)は
 無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)する慧日(えにち)なり

 というご文に入らせていただきます。ではこれは、法蔵菩蕯が阿弥陀仏となって下さる因果と、そこへ参らせていただく衆生往生の因果が説かれてあるわけで、仏説無量寿経全二巻のおいわれが、この短かなお言葉の中にこめられてあるのでございます。
 余談になるようですが、私は先哲の害物等を読ませていただいておりまして、思うのですが、一字一句の語句の解釈もありがたいのですが、この無量寿経に関して、なぜ上下二巻あるのかということについて、ある和上が「それは説くともつきないいわれだから、三巻にも四巻にも百巻にもなろうが、三巻を超えたら両手で持てない。落としてしまう。だから、わが両手でいただけるようにちょうど二巻にまとめて下さってあるのじゃ。ありがたいことじゃ」とおっしゃっている。こういう話がまた、ありがたいなあ、と思うんです。 
 さて、その大経のおいわれは、私たちに真実そのものを与えてはとうていわかることができないから、真実のよってきたるところ、つまり、真実の因果をあらわして下さっているわけであります。
 因だけあらわされてもまたわからないものでして、因果をあらわして下さるからうなずけるんです。
 たとえばね、私はお百姓さんのことあまりわかりませんが、あのイネの葉とヒエの葉と、見分けがつくかどうか、素人ではなかなかわかりません。だけど、果が出てくるとわかります。これは私でもわかります。
 いま、その因のとこで説かれたのが「難思の弘誓」であります。仏さまは私たちを救うために法蔵菩蕯となって、世自在王仏(せじざいおうぶつ)のみもとで、そこへ往く手だてもこのように仕上げるぞとおっしゃって下さる。その果が「難度海を度する大船」であります。弥陀の弘誓の因が衆生を度する果となるのであります。
 そう、ここの明教院和上の百回忌のとき、先ほど申しました利井鮮妙の兄の明朗が、この善巧寺に参って導師をつとめております。で百回忌のときは、ご案内がなかったそうですが、私のじいの興隆が参ってきまして、お焼香をして、長講一席、大演説をして、ここの門徒衆が感涙にむせんだといわれております。昔の人はすごいですね。ご恩をうけた人の命日も忘れず、明教院和上の百五十回忌に案内なくても参ってくる。今の私たちには考えらないことであります。
 で、二百回忌の時は、弟のご縁私と父、興弘が参らせていただきましてね。法事がおわって、帰り道、父と話をしたんですが「これで、明朗さんや、興隆じいさんに、みやげ話ができましたなあ。お浄土のまいったら、まずあの二人に、この明教院さんのご法事のお話をせにゃならんなあ、じいさん、よろこぶだろうなあ」とね。
 まあ、こういう話ができるというのも「難思の弘誓」が「難度海を度する」からいえることなんですよ。帰る世界を仕上げて下さってあるからこそ、共に一処のところで会えるんです。そしてその手だての果は、無量の光明、六事の名号、南無阿弥陀仏なのであります。
 みなさん、お浄土は西にありますよ。こんなこというと、ほんとやろかという人があるが、私はあの曇鸞大師が西方浄土を指して下さったからこそ、東や、南や、北の欲の行列につながっている自分に気づかされるんだと思うんです。
 浄土がどこにあるかもわからん、真実に背を向けて、欲と二人ずれであっちの行列、こっちの行列にならぶわたしたち、だからこそ、「難思の弘誓」が「無碍の光明」の念仏となり、「無明の闇を破する恵日」とはたらき「難度海を度する大船」となってこの私をお救い下さるのであります。仏さまやお浄土に背を向けている私たちを、逃げるものを追いかけるがごとく、抱きとめてくださるのが、阿弥陀さまなのであります。

自然法爾を味わう/高田慈昭

このテキストは、昭和63年、空華忌の法話を一部抜粋して寺報(47号、48号)に掲載したものです。

自はをのずからといふ 然はしからしむよいふ

行信教校教授 高田 慈昭師

自然合成 自然快楽

 親鸞聖人が、他力ということを深く味われましたお言葉の中に「自然法爾(じねんほうに)」というのがございます。末灯鈔というお聖教の中に出てくるのですが、この言葉は仏教の深い意味をあらわしているものなのでございます。
 ところで、この夏のことなんですが、ベルギーの青い目のお坊さんがおられまして、この方はそのベルギーのアントワープという町の大学の先生もなさっているのですが、アドリアン・ぺ―ルという方なんです。
 このペールさんは、仏教に帰依し、浄土真宗に帰依し、京都のご本山で得度もされまして、今、ヨーロッパにお念仏の教えを広めて下さっているのであります。小さいときはキリスト教の聖歌隊のメンバーだったそうです。でも今は、私の救われてゆく道はこれだと、心の底からよろこんでいらっしゃるんです。そう、ベルギーには今、ペールさんのお寺があるんですよ。寺号は「慈光寺」というんですが、このお寺の名は私の寺の名と同じなんで、何かとても親しみ深く感じるのです。
 このペール博士がね、親鸞聖人の教えは「自然法爾」という、本来、ありのままの凡夫が、凡夫のままに救われてゆく、そこには阿弥陀様の絶対的なお慈悲の世界が開かれ、その世界に招かれてゆく…ということを心からよろばれておるのでございます。
 私はこの夏、ペールさんと通訳を入れてお話をしたのでありますが、その時にもこの「自然法爾」のおいわれが、人々が救われてゆく無理のない真実の法だとおっしゃっていたのであります。
 この「自然法爾」という味わいは、西欧人の考え方からはなかなか出てこないものなんですが、それを適確に押さえていらっしゃるところにたいへん感心させられました。
 さて、この、自然法爾という言葉でありますが、本来は仏教全般の言葉でして、禅宗でも使いまして「自然のほうは、つくる人があることもなく、つくらないこともない。法爾自然、生死自然、因果自然…」などと申します。
 で、私達の経典、仏説無量寿経にも、自然という言葉が、五十五ヵ所も出てまいります。うかうかと唱えていると気づきませんが、親鸞聖人はこれを本当に深く見つめられたんですね。

自然在身、自然合成、自然快楽、自然飽足、自然化生、無為自然…

 また、観無量寿経の中にも、

自然増進、自然在中、自然化成

などと六ヵ所、そして阿弥陀経には

皆自然生念佛念法念僧之心

 と、一ヵ所ですが出てきます。
 さらに、宗祖のお正信偈の中にも「自然即時入必定」とありますね。
 それで、この自然という言葉を浄土真宗では、特に阿弥陀如来の本願力の自然、願力自然と使うのであります。
 阿弥陀如来の本願力が、自ら然しむる、こちらには何一つ計らう余地はない、如来の計らい一つによって、あるがままに抱かれて救われてゆくのである、と味わうのであります。
 親鸞聖人が晩年に、京都の善本院というお寺で、弟ぎみの尋有僧都に、仏教で自然法爾ということがあるぞ、というって、願力自然ということについてご法話をなさったんですが、これが、自然法爾章として、末灯鈔にのこされているのであります。

自然といふは、自はをのづからといふ、行者のはからひにあらず、然とうふ、しかしむといふことばなり。しからしむといふは行者のはからひにあらず、如来のちかひにてあるがゆへに法爾といふ。法爾といふは、この如来の御ちかひなるがゆへにしからしむるを法爾といふなり。法爾はこの御ちかひなりけるゆへに、をよそ行者のはからひのなきをもて、この法の徳のゆへにしからしむるといふなり。すべてひとのはじめてはからはざるなり。このゆへに義なきえを義とすとしるべしとなり。自然といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。弥陀佛の御ちかひのもとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀佛とたのませたまひてむかへんと、はからはせたまひたるによりて、行者のよからんとも、あしからんともおもはぬを、自然とはまふすぞとききてさぶらふ。……

 とこのように、じつに味わい深い、他力のおみのりをおのべになっておられるのであります。
 ところで、この他力といいますと、人の力をあてにするというように間違って使う人が多いんです。野球でも何でも、他力本願で優勝なんて言う人がいますな。困ったものです。優勝したのは他力でも何でもない。実力なんですがね。
 仏教では他力とか自力というのは、仏さまのおさとりに向かうときに言う言葉なんで、人間生活の上で自力他力は言わないんです。それを日常生活でこういう仏教の尊い言葉を使ってしまうから、本当の心をみな忘れてしまう。他力というのは人間の力ではないんです。仏さまの力、阿弥陀如来の本願力なんですよ。凡夫が仏になるのに如来の本願力一つによって救われてゆく…それはこちらが願う前に、仏さまのほうから願われてある、大きな限りないお慈悲の世界、それをあらわすのであります。

行者のはからいにあらず

 ところで、ふつうはこの「自然」を「しぜん」と読みますね。仏教では「じねん」といいます。「しぜん」というとなんか科学的な感じがしますけど「じねん」というと、何かこうあたたかい感じがしますね。
 で、ここで少し、その「しぜん」と「じねん」の共通点を上げてみようと思うんですが、まず第一に「しぜん」は人間の手を加えないことがあげられます。人工を借りないのであります。まあ、これが本来の姿というものでしょう。それと同じように阿弥陀如来の本願も、南無阿弥陀佛のお名号をもって、われらを救いたもうがゆえにこの本願を信じて一声にも念仏を申さば、必ず仏のおたすけにあずかるなり、これ法爾道理なるべし、と法然上人もおっしゃっています。これこそ、自ら然らしめたまう真実のおみのりなのだというわけです。行者のはからいにあらずということなんですね。
 第二に、しぜん、じねん、ともに因果の秩序、法則があります。自然界には原因と結果の道理が貫かれてあります。花は咲くべくして咲き、散るべくして散ってゆくものですね。ウリのつるにはナスビはならんということですね。
 仏法というものもその通り。おしゃかさまがお出ましになって、因果の道理を見抜かれた。これはおしゃかさまがお出ましになる前からちゃんとあった法則です。
 今、阿弥陀如来のご本願もそうでありまして、私達を救って下さる、救いの因果と、救われる側の私達の因果がございます。
 如来の救いの因果とは、法蔵菩薩の願行が「因」となり、正覚の阿弥陀如来が光明と名号となって私のもとに届いてくださる、これが「果」であります。
 この如来の因果が、私に届いて私の信心の「因」と、往生成仏の「果」となって下さるのであります。如来さまのお救いというのは神秘の魔術ではなくて、厳然たる因果の道理によって、間違いなく、救いの法が仕上がり、その法によって間違いなく救われてゆく法が、私どもの上に届いておって下さる。それがお念仏なんです。そこに人間のはからいを越えた、如来のはからいとしての真実の大悲のはたらきが、今、私どもの一人一人の煩悩を照らして、その全体に南無阿弥陀佛の功徳を注いで救って下さる、そこに因果の道理が成立し、自ら、然しむるのであります。

自然法爾を味わう②

はからいなしすべて如来の…

 親鸞聖人の末灯鈔のお言葉をみますと、まず自然という言葉のご解釈がでてきます。

自というのは自ずから、行者のはからいにあらず、然というのは然らしむる、行者のはからいにあらずという」どちらも行者のはからいにあらずという風にのべられています。法爾というのは「如来の御誓いなるが故に然らしむるをいう

とのべられています。
 この自然という文字、自という文字はみずからとおのずからという二通りの読み方があるわけですが、みずからというときは自分自身ということで親鸞聖人は、五会法事賛の観音勢至自来迎、観音菩薩と勢至菩薩が、自ら来迎したもうという言葉をご解釈され、二菩薩みずから私共、念仏者をお迎えとって下さるという云い方をされています。ところがその後に聖人は、また自というは自ずからというとご解釈され、おのずからというときには自ということである。阿弥陀如来のお救いが行者のはからいをはなれて、向かうからしからしめて下さるという働きであるという風に他力ということをあらわされています。今は自というのはみずからという意味ではなしにおのずからという意味である。おのずからは何故、行者のはからいにあらずというのかといいますと、自という字、これは「より」という字でもあります。今はあまり使いませんが〇年〇月〇日より〇日にいたる、というときにこの字を使っています。ものがはじまるもとということです。又、「より」というのは「従」、こちらが動かなくても向こうから動かん私を抱きとって下さる。如来さまの方から全くはかろうて下さるから、こちらからは毛すじほどもはからう余地がない、こちらから動いてゆくことではありませんから、行者のはからいにあらずというわけです。
 太陽というのは向こうにあるけれども、光はここにとどいている。そして私達を照らし、私達の暗を破り、又、育ててくださる。向うかから働きでじっとしているままが、こちらは光をいっぱいあびている。向うから近づいて、この煩悩の世界にいきいきと働いて、この私をおさめとって下さる。こちらの方は素直にこれに従うよりほかはない、大きなめぐみであるなァと仰いでゆく他はない。だから行者のはからいにあらずというのであります。向うからの働きでありますから、然という字は、またこれ然らしむるといいます。
 親鸞聖人は必ずという字を必得住生とおっしゃっています。善導大師は、南無阿弥陀仏でどうして往生できるか、それは南無阿弥陀仏の中に、願と行がちゃんとこもっておる。仏のさとりにいたる願と、仏のさとりにいたる行が、全部、南無阿弥陀仏におさまっておるから、どんな凡夫でも、南無阿弥陀仏ひとつで必ず往生を得るとおしゃった。
 善導大師のころには、お念仏の教えを知らないで、凡夫の唱える位のお念仏で、どうして仏になれるのかと、念仏の教えをけなした人達が多かった。そこで善導大師が憤慨と立ち上がりましてね。そうではない、お念仏一つによって凡夫が救われてゆくのである。そのわけを言うなら、南無というは帰命である。またこれ発願廻向の義なり、如来の願いが私の所にとどいて、私が仏になる願がちゃんとそなえられている。しかも、阿弥陀仏は即ち行といえり、阿弥陀仏という中に、この凡夫を仏にする行のありだけがこもっていて全部私のところに、信となり、念仏となって浄土へむかわしめてくださる大きな働きがある。
 お寺の垂れ幕にありましたな、「法体大行」。如来の行が私の行になって下さっておる、如来さまが苦労して仕上げて下さった行のありたけが、私の信となり、行となって下さる。信心ということは、如来の大願大行が私のところへとどいて下さったということです。
 浄土真宗に行があるかと云われた時、私達は堂々と大願大行という行があります。それが私の体を通して出ておってくださる南無阿弥陀仏の一声一声の無上の功徳が躍動しているお念仏なんだということを、私達は、親鸞聖人の教えを通して味わっているんです。
 法然上人は選択本願のお念仏とおっしゃって居ます。そのようにお念仏で凡夫が間違いなく救われてゆくということを、はじめて道理をもって示されたのが善導大師。必ず往生をうるということが如来の自然法爾であるから、その道を歩む人間になさしめたもうのであります。
 庄松さんでしたかなあ。友達が病気で寝ていました。病気をすると心が不安で、ひょっとして悪くなって死ぬんじゃないか庄松さんに仏法のお話をしてほしいというので、その友達の家へ見舞にゆきました。そしたら庄松さん、病人に話でもするかと思うと何もしないで、隣の部屋のお仏壇の前に座って、おあかりつけておつとめをするんです。長い長いおつとめをゆっくりゆっくりしておりまして、仲々おわらない、病人がいらいらしてお前をよんだのはおつとめをしてくれということではない、早く私の枕元へきて早くお話をしてくれというと、「ここに大悲の如来さまがお立ちになってるじゃないか、この如来さまが正覚を成就して私のところへ南無阿弥陀仏ときて下さっておるのに何が不足かいおらみたいもんの話きいたって何にならあ、願力自然の働きで私のところへ南無阿弥陀仏となってだきしめておってくださる親さまが、ちゃんとおら達迎えになるのに、何が不足かい」と云うとナモアミダブツとお念仏しながら帰っていったんです。
 この病人の友達が後から考えてなるほどなァとわかったんですね。何かありがたい心になろう、自分の不安を破ろうと思って、それに、はからいをした。人生の矛盾や、人間の不安は人間の力で破ることはできません。くよくよした妄念や不安が最後までなくならないのが本当の姿です。しかしその不安のままが、如来様の確かな法の中にそのままだかれて救われておるところに、ゆるぎない安心が与えられておるのです。
 おのずから然らしむるということの言葉を私達は本当にかみしめて味わわしていただいたら「このままでよかったなァ」「このままが、本当に自由な大きなめぐみの中にいだかれておりましたなァ」と、心の底から晴れ晴れと念仏を申すよりほかにないのであります。