浄土真宗の厳しさ/山本摂叡

このテキストは平成18年、寺報118号、119号に掲載されたものです。

行信教校教授 山本摂叡師

まづ至誠心といふは大師釈しての給はく、「至といふは真也、誠いふは実也」といへり。 ただ真実心を至誠心と善導はおほせられたる也。

 今年は大変暖かい秋でございました。善巧寺様だけにしかない空華忌の御法座でございます。この頃、私が痛感しておりますところを、少しお話させていただこうと思っているわけでございます。

時代の変化

 ちょうど、戦争が終わりまして60年という年月が経ちました。その間に、日本の社会構造の基盤であります家庭というものが根本的に変わってきたように思います。それは、政府としては家督の相続という制度が廃止されました。したがって長男が家督を継ぐということは民法の上でなくなったわけでございます。子供はみんな家を継ぐ権利を平等に持つという制度なわけです。それから戦後まもなく土地の制度というものも大きく変化いたしました。このころ、分家という言葉が半分死語になったようです。子供たちが独立して生活をするのは当たり前の時代です。ことさらに分家をするということを言わなくてもいいような感覚が強くなってまいりました。昔は分家をするということは実は大変大きな問題であったわけです。ある地方では分家の第一代目になることを「先祖になる」といったそうです。つまり新しい家をこうして、その新しい家の第一代になるんでから「先祖になる」わけです。そういう言葉で説明したことがあったそうでございます。なぜこんなことをお話しするかと言いますと、私は、日本の宗教というものは善かれ、悪しかれ、家というものを中心として営まれてきた宗教であったと思うのでございます。家庭にお仏壇というものがあって、そのお仏壇を家庭の中心とし、家庭を相続するものが、そのお仏壇をお守りさせて頂く。そういう制度で持って日本の宗教というものはずっと何百年来、営まれてきたんだと思うんです。ところが、これからの宗教というのは一人ひとりの信仰でなければならないという考え方がずいぶんと盛んになってまいりました。個人の信仰の自由というものが保証されていますから家の単位の宗教よりも、個人単位ということがなければ信仰というものも成り立たないという考え方が大変強調されてまいりました。
 大阪の都心のお寺の方に聞きますと、こちらのほうでは想像できないような大変さがあるようです。戦災にあいまして、大阪の都市部のお寺も含めて、家々が焼け野原になってしまいました。その後、徐々に復興していくんですけれども、お寺があった場所を中心とし、そして、檀家の方がおられたという地域の構造が崩れていってしまうんです。とにかく高度成長期からバブルの頃に向かって土地がどんどん高くなってまいりまして、そこに住まいができなくなってしまい、外交へと出て行かれるわけです。心斎橋という所のお寺のご住職は「うちのお寺まで歩いていくことができる檀家さんは3件しかありません。後は全部、外交の遠いところに転居していかれました。」と言われます。そうするとご命日やご法事のお参りがどんどん大変になってくるんです。1軒お参りに行くのに片道1時間も2時間もかかるのが当たり前になってくるわけです。
 なぜこんなことを申し上げるかといいますと、日本の社会構造の1番基本である家族という問題が本当に変わってしまったということなんです。それが善かれ、悪しかれ、それまでお寺や信仰を伝えてきた1番の基本の家族というものが変わってきたというふうに見ることができると思うんです。
 今回私は端的に申しまして、浄土真宗の信仰というのはどういうふうに味わうべきだろうかということを申し上げたいと思っております。家族というものの姿、そして家族というものを通して信仰というものがどのように伝えられてきたのかということを、少し具体的にお話しさせて頂こうと思っているわけでございます。

法然聖人

 その前に法義としまして、少しお話をしなければならないでしょう。浄土真宗の信心というのは我々は抽象的に考えるのではなく、やはり浄土三部経に書かれた信心というものを基本に考えていかねばなりません。
 私は、こちらにとってもご縁の深い行信教校というところで教壇に立たせて頂いているんですが、親鸞聖人の書かれた和語の御聖教をずっと読ませていただいております。最近は法然聖人の御聖教を読ませていただいているんですが、ここのところ法然聖人のことばが大好きになりまして、いろんなところで法然聖人のお話をさせてもらうんです。
 ところが、専門家であるはずの我々僧侶の上でも少し誤解されてることが多いんです。一昨年、同じ大阪の報恩講に招かれまして、その時読んでいた法然聖人のことばを二日間、お話をさせていただきました。お寺によったら寺族のものは、なかなか本堂に座ってお聴聞できませんので、庫裏の方までスピーカーが届いていることがよくあるんです。そこの寺もちょうどそうでした。2日間の法座が終わりまして、お座敷で座っていましたら、今度は逆に本堂の声は聞こえてくるんです。そうすると、ご住職が最後のご挨拶をなさっている声が聞こえてまいりました。そのご挨拶を聞いて少し苦笑してしまったのですが、ご住職はちょっとご不満だったらしいんです。「今回は2日間とも法然聖人のお話を聞かせていただきました。2日目の最後にやっと親鸞聖人のお話が出てまいりました。うちは浄土真宗のお寺でございます。浄土宗に転派する気はございません。当然、浄土真宗で行きますので誤解をなさらないでください。」とおっしゃるんです。なかなか難しいものだなあと思いました。皆様の上にも、多少あると思うんです。中学生くらいの歴史の教科書で言いますと、浄土宗は法然聖人、浄土真宗は親鸞聖人と書いてあります。そうしますと法然聖人は浄土宗、親鸞聖人は浄土真宗だという通念が知らないうちについてしまうんです。それで法然聖人のお話をすれば、浄土宗のお話になり、親鸞聖人のお話をすれば、初めて浄土真宗になるという先入観が知らず知らずのうちに私どもの上に出来上がってきたんだろうと思います。
 実はそう簡単なことではなくて、親鸞聖人のことを専門に学ぶのにとっても大きな視線が抜けているんじゃないかと思うのでございます。ご承知のように親鸞聖人は最晩年まで法然聖人のことをずっと慕い続けておられます。法然聖人の「義なきを義とす」という言葉も使っておられます。「義なきを義とす」というのは端的に申しましたら、「何もはからわない、あれ、これつけ加えをしないというのが教えであるよ」というほどの意味でしょう。一切、自力の計らいというものを加えたらいけないというのが法然聖人のことばでしたよということを、親鸞聖人は度々おっしゃっています。法然聖人のおことばを私はお聞きして、このおことばによってずっと私は歩んでまいりました。ほかの方のことばは一切私には必要ありませんとまで言い切っていかれるんです。
 そうすると、法然聖人の教えということをいかに自分が味わっているかということが、親鸞聖人のご一生であったはずです。そういうことは浄土真宗を専門に学ぶものもよく言うのですが、いざ教義となれば法然聖人のことばが抜けてしまう。おそらく宗派としての浄土真宗というのが別々に成立し、その違いというところを見ていくことがかりに目が行ってしまって、親鸞聖人が法然聖人のどういう言葉を受けて生涯、味わいを語っていかれたかという視点が欠落してしまったんだろうと思うのでございます。

浄土真宗はなんもしなくてもよいというのは間違い

 法然聖人には大変面白いお言葉が多くございます。そして、一つだけ難しいことを言いますけれども、同じ信心と申しましても、法然聖人の場合は、観無量寿経というお経によって語っていかれます。観無量寿経に説かれた信心というのは何かというと、三心という言葉が出ております。至誠心・深心・廻向発願心、このような言葉を使われておられます。法然聖人のお言葉というのは徹底して、この三心によって教えを説いていかれます。法然聖人ご自身は親鸞聖人が真実の教えといわれた無量寿経の信心ということはほとんど語られないわけです。三心のことで法然聖人は非常に詳しく言われる一面もありますけれども、また、このような言い方もされておられます。「何も言葉も難しい道理も知らないものであっても、仏さまの言葉を聞いてお念仏しておるものには自然と、三心は備わっているんだよ。」とおっしゃるんです。これが有難いことです。三心ということを一切知らないものあっても、素直に本願を喜んでお念仏するところには三心はそなわっているんだよとおっしゃるわけです。もう一面は三心の心を詳しく解説されています。親鸞聖人の場合は信心というものを徹底して本願の上で語っていかれます。
 法然聖人がこの三心という言葉によって示していかれたことは、あくまで信心の行者がどのような生活をすべきかということを主に語っていかれただろうと思うわけです。信心というのは抽象的なものでもなければ心の問題というわけでもないわけです。私たちの日常の生活そのものの上に反映し、生きてくるものでなければ本当に宗教でも、信心でもないはずです。ですからそういったことを語られる面では法然聖人はつねに具体的な心のありようというものに立って語っていかれたんだろうと思うわけです。
 一方、親鸞聖人が本願の上で語られた信心というのは、あくまでも他力の法義、救いの法というもの、成立根拠を究明していかれたのが親鸞聖人でした。だから私は三心という言葉さえも知らなくても、素直にお念仏をする者のところには、自然に三心がそなわっているんだよといわれた、その根拠ということを考えていかれたのが親鸞聖人だったんじゃないかと思うんです。そうしますと法然聖人と親鸞聖人というのは、昔読んだ「出家とその弟子」を書かれた倉田百三という作家が「法然聖人と親鸞聖人は、二人でひとりの人格だ」とおっしゃった言葉は素晴らしい名言だったと思うんです。念仏一行専修という、仏教の上ではとんでもない破天荒な主張をされた法然聖人、そして、その内容を明らかにしていかれた親鸞聖人、そのおふたかたが一緒になって私たちに、今お念仏を進めていてくださる。そのように考えたら有難いわけです。
 今から一つとりあげて、法然聖人のこの至誠心ということについて紹介を申し上げていきたいと思うわけです。法然聖人が具体的な信心を語られるのに1番量的に多いのは至誠心という言葉です。至誠心というのは、端的に言いますと、「至は信なり、誠は実なり」とおっしゃいます。つまり真実心ということです。「しじょうしん」と発音いたします。至誠心というのは要するに真実心ということであるんだよとおっしゃいます。そして真実ということがどういうことかということを、いろんな場面で語られるんですが、今日はこのようなお話を取り上げさせていただきましょう。七箇条起請文という御文です。これはちょうど法然聖人が流罪になられる三年ほど前、法然教団に対して様々なところから非難の声が高まっていたようでございます。それに対し門弟に対して出されたのが七箇制誡といわれます。比叡山に出された浄土真宗の立場の宣言が七箇条起請文という御文です。その中に至誠心のことをおっしゃられるんですが、このようにおっしゃいます。

至といふは真なり、誠といふは実なり。ただ真実心を至誠心と善導はおほせられたるなり。真実といふはもろもろの虚仮のこことのなきをいふなり

真実はひっくり返すと虚仮ですから、虚仮の心がないありようのことです。親鸞聖人も「虚仮を離れて」というように虚仮の反対概念として真実という言葉を使います。虚仮を離れるということは特別な宗教でなくても、私たちは真実心をもって生きたほうがよろしいですね。ただし、どのような心が真実心であるかというと難しい問題です。何か、私の心を真実にしていかなければいけない、私の心を完全に美しいものにしていかなければいけない、そのようにとらえられしまうと問題ですけども、私たちの心は、もともとが凡夫だから、煩悩が起こって「それはどうでもいいんだ」というのは宗教以前じゃないでしょうか。浄土真宗の考え方が少し違ってきたのではないかと思うんです。もともと従来の浄土真宗は、念仏者達はものすごく厳しい、日常生活の姿勢というものを持っていらっしゃったんです。ここからは比較的近い五箇山に赤尾の道宗という蓮如上人時代の妙好人がおられました。今でこそ便利に車で行くことができますが昔は雪が深い所で冬の間は外界の交通が遮断されるような山の中だったわけです。おそらく道宗の住んでおられたところも、近いところがあったと思うんです。そうすると道宗は薪を並べて、その上に寝ておられる姿が今でもあそこにあります。いわゆる臥薪嘗胆です。時折はそれほど厳しくなければ、蓮如さまの恩ということについつい甘えてしまう。蓮如さまのご恩を忘れてしまうような自分だからこのようにしなければならないんだと言って薪の上に寝ていらっしゃったんです。そのような逸話が残されています。それは浄土真宗の念仏者というのは何もしなくてもいいとか、浄土真宗は優しい宗教だと簡単に言う人は、失礼ですけれども、浄土真宗のことが何もわかっていないんです。私は浄土真宗ほど厳しい宗教というのはないと思います。ただし厳しさは堅苦しい厳しさではないです。常に本願に照らされてあった自分が、本願に背くような生き方しかできない。なんと恥ずかしいことだろうかという厳しさです。強制される厳しさじゃないんです。あくまでも本願を聞くことによって自分の内面から出てくる厳しさというのが浄土真宗の門徒の姿だと思うんです。それが浄土真宗の道徳の源泉だと考えます。道徳は世間の教えであって、宗教はもっと違うと私自身も考えていましたけれども、蓮如上人や法然聖人の言葉を読ませていただくと私もその考えを修正しなければいけないと思います。浄土真宗には浄土真宗の信仰、内面から滲み出てくる道徳というものがなければ宗教としての意味がなくなってしまうのではないでしょうか。

 

人間の死亡率

テレビを付けると「人間の死亡率100%」と見出しがあって、誰かが話している。NHKではなく民法で、バラエティ番組のよう。話し手は解剖学者の養老猛さん。氏が言うには、現代は「死」を隠し過ぎたと。もともと生と死は切り離すことは不可能なもの。それが今は、死を遠ざけ、生だけに偏るようになった。その原因の一つとしてここであげられていたのは、土葬から火葬に変わり、その同時期にあるものが全国に普及したと。ひと昔前は、人が死を迎えると土に返す土葬が主流だったが、法律が変わり、火葬が当たり前の時代へとなった。そしてその同時期に、水洗便所が全国に普及した。人間にとってマイナスイメージのもの、「死」や「排泄物」を隠す時代へ。確かにその流れは強くある。お年寄りや障害者は施設へ、病院で死を迎えるのは当たり前、最近では、お墓も外観を乱すとかなんとかで、自分の土地へ勝手に作ることすら許されない。見事に老病死をスミへ追いやった。でももしそれが本当にマイナスなら、すべての人間はマイナス、最悪の方向へ向かっていることになる。養老氏は、今こそ「死」を見直そう云々ということで、そこに出したのが樹脂でミイラ化された人間の標本。タレントさんたちが感嘆の声をあげながら見ていた。所要があったので、ここまでしか見れなかったが、全体の感想としては、民法のしかもバラエティ番組でこんな重いテーマをあげたことは、評価されるものかもしれないけど、いかんせんテレビ。やたら薄っぺらく見えるのはなんでだろう。おそらく、養老氏も他に言いたいことは山ほどあるだろうし、現場ではもっと話しているだろうが、それを超コンパクトにわかりやすくまとめあげるテレビ。そして、さらにわかりやすくするため、テロップでいちいち話していることを強調し、効果音や照明で演出、感嘆の声や笑いなどを足していて、こちらに考える余地を与えず、ここで驚け!ここで笑え!という感情操作。マスコミ出身の父からテレビの言うことは99.9パーセント嘘だと思え、と育てられたぼくだけが感じることではないと思う。

批判出来るほど教養も知識もないし、薄っぺらさでは負けていないので、多くは言えないけど、「死」という大きな問題を取り上げながら、それが随分と軽く写る様子は、なんとも切ない気持ちになった。とは言っても、死をあまり重く考え過ぎると、余計に考えないようになるかもしれないので、こういうのも一つなのかもしれないとも思う。

ガンの死亡率何パーセント、肺炎の死亡率何パーセントといくらいったところで、

「人間の死亡率は100%」

これは父の口ぐせだった。蓮如上人という方も、御文章というお手紙で「後生の一大事」を何度もくり返し言われている。後生とは、いのち終えた後の行き先。帰り処を聞くことこそが人生の最大の一大事だと言われる。帰る家をもつことで、今安心して歩くことが出来る。

だれもが楽しく可笑しく人生を過したいと願うが、絶対に訪れる老病死。お金も名誉も健康もボケ防止も一発で吹っ飛ばす老病死。

仏教を説かれた釈尊は、もと一国の王子だった。体にも頭脳にも恵まれ、欲しいものは何でも与えられ、何不自由なく育った王子も、老病死の隠された世界で育った。そしてある時、老病死をまのあたりにし出家したと伝えられる。釈尊と比較するのはあまりにもおこがましい話だが、ぼくら現代人も状況は似ているのかもしれない。恵まれた状況にありつつも、欲望の無限ループの中、満たされない想い。ここに疑問を持つか持たないかで、大きく人生は変わるのかもしれない。

(2005年のブログより)

宗教について

年末年始は宗教行事が続きます。まずは、クリスマス。それからお寺で除夜の鐘、神社参り。この三つを一週間の間に全部参加するというのは、日本の他にはないと思います。今回は、せっかくなので、信仰ということについて少しお話させてもらいます。

宗教とか、信仰というと、みなさんはどんなイメージを持っているのでしょうか。なんか怪しくて、ダークなイメージですか?身近に感じられない人も多いと思います。でも、じつは身の回りにたくさん溢れているんですね。例えば音楽。海外のミュージシャンの中には信仰を歌った歌が多くあります。もともと、音楽、歌で表現するというのは、宗教からはじまったものがたくさんありました。ゴスペルというのは、キリスト教から生まれたものです。レゲエ、あれはジャマイカのラスタファリズムという信仰から生まれたものでした。テレビを見ていても、いろんなものが見えてきますね。イスラムの方が礼拝している姿。オリンピック選手が大地にひざまずいて十字を切る姿。もっと身近なところでは、家でばあちゃんが仏壇に手を合わす姿。それぞれに対象は違いますが、自分を超えたはたらきへの感謝をあらわします。ありがとう、の想いをカタチにしたものですね。カタチは心を育てます。

今は、科学的なものの見方と、お金で世の中がまわっていますから、「自分を超えた存在」なんていうと、なんじゃそりゃ?と思う人も多いと思いますが、これもちょっと考えてみれば、目には見えないはたらきって無数にありますね。たとえば、空気。空気がなければぼくらは生きていけません。太陽も地球も、水も生き物もそうですね。ぼくらは毎日生き物のいのちをもらいながら生きていて、そのおかげで体の機能も働いています。体の中も自分で動かしているわけじゃないですね。心臓をイチニイチニと動かしている人はいません。最も今はペースメーカーってのがあって、化学技術の力も入っていますが、でも全体からみればほんの一部でしょう。体のひとつひとつの細胞も、生まれては死んで生まれては死んでと繰り返しているそうです。でも、そういうことにぼくらは意識せず毎日を過しています。こういうものへの感謝、必要ないでしょうか。

ラジオ番組「ゆるりな時間」より

アイデンティティ

自分も含め僧侶や寺の年輩常連者が卑屈になっているように思う。
それは具体的には、参拝者数の激減を目の当たりにしてきたこと、イコール世の中から求められていない、と受け取ることが大きな要因だと思う。また、むかしは僧侶が大切に扱かわれていたけど、それもなくなり、むしろ、偽善者扱いされているように受け取っているのではないだろうか。

ぼくは幸いに、仏教に興味を持つ友人たちに出会えた。寺の息子ということでおもしろがられたり、そこからいろいろな人脈も生まれた。ひと昔前なら、仏教に興味を持つ者は「ちょっと変わった人」扱いだったのだろう。それは今で言う個性的というものではなく、白い目で見られるただの変人扱い。その目は今でも確実にあり、信仰者にとって日本はとても不自由な国だといつも感じる。でも、ぼくらの世代あたりから、その「ちょっと変わった人」の数が徐々に増えはじめたように思う。アメリカナイズされ、均一化されていく世の中に嫌気をさして、多くの人が個性やアイデンティティを求めるようになった。また、アイデンティティが限りなく薄くなった国で、それが更に進んでいることにも気付いた。バックパッカー、表現に目覚める者、ニート、自傷、現代にある様々な問題、すべてその影響下にあるように思えてくる。そんな中、自ずと日本人の根底に強く影響する仏教に興味を持つ者も増えてくる。それは少数派かもしれないが、すでに多数派という価値観すら薄れている世の中。

自分に自信がないのは本人の問題だが、仏教への自信は絶対に必要。
自分たちが触れているものがどれほど大きなことかということを、ちゃんと認識さえしていれば、自ずと自分が歩む道にも誇りが生まれるはずだ。それを、うつりゆく世間の物差しで換算するからおかしくなる。

親鸞聖人が言うところの「非僧非俗」(僧でもなく俗人でもない)とは、俗に生きながら俗に染まりきることなく生きる道。聖を聞かず俗に沈みきった時、それは非僧有俗。
念仏者は、修行して悟りを開こうとする「聖」の道は歩んでいない。肉を食らい色にうつつを抜かしながら「俗」の真っ只中に生きている。しかし、そういう俗のままにしか生きられぬ者を救いとろうという「聖」(阿弥陀仏)の言葉を聞きながら生きることに光がある。
「聖」を俗化するのではなく、「俗」を聖化していくのが、浄土真宗の教えだと聞いている。なんともスリリングな道だと思う。そして、それはすべての人が歩める道であった。

(2005年のブログより)

親の手の中で

あるご門徒さんの3回忌のご法事で、故人の奥さんがこんなことを言われた。

「主人が亡くなって丸2年。ようやく主人と話せるようになりました」

生きている間は話さなかったのだろうか?とはじめは何を言っているのかよくわからなかったが、しばらくしてから自分にも思い当たるフシがあることに気付く。ぼくは生前の父とは目も合わせられない関係だった。まともに父親の顔を見たことがない。いつもチラッと見るぐらいで、それは単純に怖かったのと、自分にいつもなにか後ろめたい気持ちがあったのだろう。そんな関係のまま、ぼくが高校2年の時、父は往生した。

母親は特に想いが強くて、父が亡くなった後、家中に写真が飾られた。顔を洗っていても、食事をしていても、トイレへ行っても、そこにはいつも父がいた。「ようやく主人と話せるようになりました」と言ったご門徒さんのように、ぼくも父が亡くなってからやっと父と向かい合えることができたのかというと、そうではなかった。亡くなってからも、父の写真をまともに見ることができない。ずっと避けて生きてきた。

10年以上たって、今ようやく素直な気持ちで父と向い合うことができるようになった。生きている間に、生きた言葉を交わして心通わすのがいいに決まってはいるけれども、そうはできないことだってある。そういう者にとって法事という節目の中で、今一度故人と向い合う場所を与えられるというのは、とても大切なことだと感じる。

自分で自分を見つめるだけでは、自分のモノサシから抜け出すことはないが、対者を持ってはじめて自分自身が映し出されてくる。信仰も、仏さまという親を持つことだと受け取る。親を持つということは、一面には厳しい生き方でもあり、親に対して自分はどうなのか、今の生き方は親に背を向けてはいないか、とその都度自分を照らし合わせられる。ラクではない。でも、その根底には、親に包まれた自分があり、親の手の中にいるという大きな安心が与えられる。人生順調にいっているときには、「親なんて必要ない」とわずらわしいぐらいに思っていても、いざ壁にぶち当たったとき、前へ進むことができなくなったとき、これほどの安心はない。

ナモアミダブツは親の名だ。親を親とも思わず生きてしまうようなぼくに対して、常に包み込んでいてくれる。そのままでいいよ、とぼくの全存在を肯定してくれる。ぼくがぼくであることを認めてくれる。そして、「そのままでいい」は「このままではいけない」という力になる。ナモアミダブツ。生きることはつらいことのほうが多いかもしれないけど、そんな働きに遇わせてもらっているぼくはしあわせだ。

(仏教冊子「御堂さん」2005年11月号より)

ありがとう

うちはお寺ですが、最近、報恩講(ほうおんこう)という行事があったので、バタバタしておりました。この報恩講というのは、恩に報いると書いて、宗祖に対して感謝する行事のことです。シンプルに言うと、ありがとうの日ですね。

ありがとうって言葉を、いつ使っているか考えてみると、ほとんどがモノもらった時ぐらいでしょうか。恩というのは、大きければ大きいほど、見えにくいようで、また、こっちから求めて与えられたものじゃなく、求められるより先に、与えられたものをいうそうです。太陽や空気、なんてのもそうですね。見えにくい。というか見えない。みなさんは空気に感謝したことありますか?あ~、今日もおいしい空気吸わせてもらって、ありがとうって・・・ないですねー。聞いたこともないし、言ったこともありません。酸素マスクをはめなければ生きられない人にとっては、空気に対する感謝の気持ちがあるかもしれませんが、ぼくらは当たり前に思ってますよね。考えたことすらない。食べ物はまだ見える範囲ですが、それすらあやしくなってきます。親のご恩ってのも、耳の痛いとこですね。

恩ということについて、ひとつには、大きければ大きいほど見えにくい。そして、求められるよりも先に、与えられたものと。確かにそうですね。空気なんかは要求したわけじゃないし、請求書も送ってきません。恩というのには、もう一つ特徴があって、それは返しても返しきれないものだそうです。前に、テレビの人気タレントが、親に何千万円を送りつけたと、満足そうに言っていましたが、確かに、稼いだお金を親にポンッと渡すのは、ちょっとカッコイイですけど、それで恩を返したと思ったら大間違いのようです。親はどんな気持ちでしょうか。どんなに大金であったとしても、これで勝手に老後暮らしとけ、なんて気持ちなら、寂しいでしょうね。ありがとう、の気持ちのほうが、はるかにシアワセに思ってくれるものかもしれません。

今回は、ありがとうについて、お話させてもらいました。

ラジオ番組「ゆるりな時間」より

住職継職を振り返る

ぼくが住職を継職したのは、8年前、平成9年の秋。当時24才、学生あがりのぼくには住職という肩書きがとても嫌でした。お寺で生きていく情熱はあったけど、見習い期間もないままに住職なんておかしい!母が継ぐべきだと主張しましたが、ぼくの意見など聞く以前からとっくに準備は整えられていて、結局言われるがままそのポジションに座ることになりました。継職法要自体もすべてぼくの意思とは関係なく、借りてきた猫のように。

「あなたは何もしなくていいから黙ってそこに座っていなさい」

というまわりからの視線は、活気盛んな20代のぼくにはあまりにも苦痛な出来事でした。お寺が嫌なわけではない。でも、自分の意思を必要とされていない住職は嫌でした。ある程度見習いをさせてもらってから、少しでも自信が持てるようになって住職を継職したい。

結局、住職という名前はあまり考えずに、見習いのつもりでお寺の仕事をやろうと考え、無理やり自分を納得させました。そう納得させながらも、ずっと「住職」という名前に縛られていました。住職だからこうしなければならない、とか、住職と見られるようにならなければ、と。まわりからの期待や要求、責任。一方で自分の理想とする住職像と、求められる住職像とのギャップ。自分の理想にも他からの理想にもかけ離れた自分の無力さ。そのくせ「俺は出来るんだ!」という強いプライド。認められたくてしょうがなかった。また、それらのプレッシャーや気負いは絶対に人には見せたくないというプライド。「住職なんて、自由職だぜ!」ぐらいのスタンスを装いつつ、いつしか人と会うことが苦痛になっていきました。多くの人と会いながらも、心は常に閉じていて、ひとりになることだけが安らぎ。完全に孤独にはまったぼくは、3年弱で自己崩壊。逃げました。

2年が過ぎ、再びお寺に帰り着き4年目になりました。

「人生は苦」。「苦」とは「思い通りにならない」ということ。悲観的にではなく、人生は苦なんだというお釈迦さまの言葉を受け入れてから、だいぶ楽になりました。今は自分の力もある程度知りつつ、地道に地盤を固めたいと思っています。無理せず、しかし開き直らず、なるべく等身大の自分でいること。野望は多く持ち続けていますが、とにかく10年は下積み期間のつもりで。

学生生活や一人暮らしで、プチ自由を味わっているぼくらの世代の1番苦手なところは、持続力と忍耐力。飽きやすくて、すぐに「めんどくさい病」が顔を出す。結果、何一つものにならない。その戦いだけに終わらないよう気を付けよう。

(2005年のブログより)

季節の中で/山本摂叡

子供のころ、もっとも好きな季節は夏であった。贅沢に遊ぶということに縁はなかったが、無限とも思える自由があった。母の故郷で暮らした夏の輝き。糊の効いた真っ白なシーツ、そこで迎える家での眠りも、また絶品であった。

いま自分の好きな季節を言うのは難しいが、夏の終わりに寂しさを感じるのは、昔と変わらない。もう一度海辺の輝きと戯れてみたい、そしてあと何回この夏を迎えることが出来るだろう、いつかそんなことを考える年齢になっている。

お釈迦様の入滅、涅槃をどう考えるかは、仏教徒にとって大きな課題の一つであった。それに対する大乗仏教からの答え、その集大成が「涅槃経」の成立であった。そこでは如来性の常住、仏性の常住が語られる。やがてそれは、「一切衆生悉有仏性」という普遍的な世界観にまで展開されていく。

法然聖人は念仏することについて、

念仏の声を聞き、その一声一声に従って、決定往生と味わいなさい

と言い切っていかれた。念仏する時はいつも、往生が定まる時だと言うのである。それはここにいる私が、永遠の真実に出遇う時なのでもあった。昔味わった夏もよかったけど、こんな世界を学ばせてもらうようになった今もまた、幸せであると思う。

この寺報の出るころ、富山の秋は一段と深まっていることだろう。

(寺報117号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)

花まつり

今回は、「花まつり」についてお話してみようと思います。みなさん「花まつり」っていうのは聞いたことがあるでしょうか?クリスマスは有名ですけど、花まつりはそれほど有名じゃないですね。クリスマスは、イエスキリストの誕生日。これは誰でも知ってますね。花祭りは、インドに生まれたゴータマシッダルタという方の誕生日です。仏教を説いた方で、のちにお釈迦さまと呼ばれます。イスラム教をひらいたムハンマドという方の誕生日はマウリド・アン・ナビーと言うそうです。いずれも、その生誕を祝うまつりですが、ここ数十年の話とはいえ、日本では圧倒的にクリスマスが有名ですね。

さて、こんな曲を聴きながら、今回は花まつりのおはなし。

花祭りの主人公、ゴータマシッダルタ、のちのお釈迦さまは、インドに2500年ほど前に生まれました。はなしによると、生まれてすぐに7歩歩いて、天上天下唯我独尊、と言われたそうです。生まれてすぐに歩いたりしゃべったりなんておかしい!っていうとこで、遮断する方がいるかもしれませんが、そこにどういう意味があって、なにを言おうとしているかを見ていかないともったいないですね。この天上天下唯我独尊という言葉、聞いたことあるでしょうか?以外に近くで見ているかもしれませんよ。最近はめっきり見なくなりましたが、でっかい音ならして走っているバイクに乗っている人たち。たまにこの文字を背中にしょっているようです。

天上天下唯我独尊

意味は、「天にも地にも、わたしのいのちは、誰にもかわりようがなく尊い」ということだそうです。ひとりひとりのいのちは、誰にも代わりようがない。いのちはそれぞれに絡み合っていて、関係のないものは何一つなくて、無駄なものもひとつもない。すべてが尊いんだ。そういうこころの領域をひらいたものを、仏教では仏といいます。

ラジオ番組「ゆるりな時間」より

あたたかなひかり/利井唯明

陽の光が暖かくなってきました。冬の寒さに身を縮こめていたのが嘘のように、身も心も和らいできました。暖かな光に包まれるとき、親鸞聖人のお書きになった御和讃を思い出すのです。

無碍光の利益より
威徳広大の信をえて
かならず煩悩のこほりとけ
すなわち菩提のみずとなる

高僧和讃の曇鸞讃には、阿弥陀様の他力信心を得たならば、必ず煩悩の氷が解けて浄土を願う菩提心となると、親鸞聖人は阿弥陀様のはたらきを讃歎されています。この御文は私の煩悩が消えてなくなると言う事を言っているのではありません。私たちは煩悩一つ除く事が出来ない身であり、この命が終わるまで煩悩を纏いながら生きなければなりません。それはどうしようもない事実なのです。

しかしながら、阿弥陀様の光に出会い、阿弥陀様の救いの目当てが煩悩具足のこの私であったと気付かせて頂くのです。煩悩の火が燃える度に阿弥陀様のおはたらきを感じ、煩悩に振り回される度に暫愧するのです。地獄行きの私の煩悩がそのまま喜びの種となるのです。その阿弥陀様のはたらきが南無阿弥陀仏のお念仏となって私にはたらいているのです。お念仏申すとき、春の光に包まれているような、阿弥陀様のお慈悲の深さを感じずにはおれません。

(寺報115号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)